『常陸国風土記』と『万葉集』
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「飯名神社」の記事における「『常陸国風土記』と『万葉集』」の解説
『常陸国風土記』の信太郡の条にある「其里西飯名社此即筑波岳所有飯名神之別属也」(その里の西に飯名の社あり。こはやがて筑波の岳にある所の飯名神の別属なり)の「飯名神」に比定する見解がある。これによれば創建は8世紀以前に遡る古社である。ここから飯名神社は筑波山では最も古い神社ともいわれている。 『万葉集』第14巻の東歌「筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろが布(にの)乾(ほ)さるかも」の「いなをかも(伊奈乎可母)」を、「否をかも」と「いなをか(飯名岡 、飯奈岡、稲岡)」の掛詞と解釈する見解がある。『茨城大観』や『筑波郡案内記』に「臼井字飯名岡に在り」とあり、茨城県神社庁神社台帳の登録住所は「臼井稲岡1番地」となっていることから、「いなをか」は小字として残っていたと見られる。 宮本宣一は『筑波歴史散歩』(昭和43年刊)で「昔から神体山として崇められた筑波の神の里宮として創建され、六所神宮と同性格のものであろう」と考察している。六所神宮とは明治末まで六所地区にあった六所神社の尊称で、筑波山神社二座の「郷の宮(遥拝殿)」として創祀されたという伝承を持つ。
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