『常陸国風土記』と『万葉集』とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『常陸国風土記』と『万葉集』の意味・解説 

『常陸国風土記』と『万葉集』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 21:21 UTC 版)

飯名神社」の記事における「『常陸国風土記』と『万葉集』」の解説

常陸国風土記』の信太郡の条にある「其里西飯名社此即筑波岳所有飯名神之別属也」(その里の西に飯名の社あり。こはやがて筑波の岳にある所の飯名神の別属なり)の「飯名神」に比定する見解がある。これによれば創建8世紀以前遡る古社である。ここから飯名神社筑波山では最も古い神社ともいわれている。 『万葉集』第14巻東歌筑波嶺かも降らるいなをかも愛し子ろが布(にの)乾(ほ)さるかも」の「いなをかも(伊奈乎可母)」を、「否をかも」と「いなをか(飯名岡 、飯奈岡、稲岡)」の掛詞解釈する見解がある。『茨城大観』や『筑波郡案内記』に「臼井飯名岡に在り」とあり、茨城県神社庁神社台帳の登録住所は「臼井稲岡1番地となっていることから、「いなをか」は小字として残っていたと見られる宮本宣一は『筑波歴史散歩』(昭和43年刊)で「昔から神体山として崇められ筑波神の里宮として創建され、六所神宮同性格のものであろう」と考察している。六所神宮とは明治末まで六所地区にあった六所神社尊称で、筑波山神社二座の「郷の宮(遥拝殿)」として創祀されたという伝承を持つ。

※この「『常陸国風土記』と『万葉集』」の解説は、「飯名神社」の解説の一部です。
「『常陸国風土記』と『万葉集』」を含む「飯名神社」の記事については、「飯名神社」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『常陸国風土記』と『万葉集』」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「『常陸国風土記』と『万葉集』」の関連用語

1
12% |||||

『常陸国風土記』と『万葉集』のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『常陸国風土記』と『万葉集』のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの飯名神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS