鹿島郡衙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 16:38 UTC 版)
鹿島郡(香島郡)は、『常陸国風土記』によれば下総国の海上国造の部内及び那賀国造の部内からそれぞれ割き、当初より神郡として建郡されたという。古郡衙の遺構は見つかっておらず、神郡の郡衙であるので神社のそばであるとも推察される。 8世紀以降の新郡衙跡は、神宮の南約1.5kmに位置する鹿嶋市宮中の神野向遺跡(かのむかいいせき、北緯35度57分19.29秒 東経140度38分01.67秒 / 北緯35.9553583度 東経140.6337972度 / 35.9553583; 140.6337972 (鹿島郡家跡(神野向遺跡)))で発見された。遺構は、8世紀前半から10世紀初め頃までの郡庁内郭・厨家相当施設・正倉院等で構成されている。この場所は『常陸国風土記』の「其の社の南」に郡家があるという記載とも一致する。遺跡は鹿島神宮境内の附(つけたり)として国の史跡に指定されている。
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