10世紀初め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/24 06:24 UTC 版)
マジャル人が907年に大モラヴィア王国を征服して、現代のハンガリーに住みつき、南スラブ人から西スラブ人を切り離して、一時的にスロバキアの南部を征服する。(残っているスロバキアの大部分は11世紀の終わりまでの間にハンガリーの一部になる。)その後に、スロバキア語が大モラヴィア(現在のハンガリー)、スロベニア、およびスラボニアのスラヴ系住民の言語からいくつかの方言として起こる。 既に10世紀に、スロバキアの方言は現代と同じ東スロバキア方言・中央スロバキア方言・西スロバキア方言の3つのグループに分かれていた。他のスラブ諸語と同じく、スロバキア語の嚆矢は、6世紀、7世紀にさかのぼることができるが、スラブ語学者の一般的なコンセンサスでは各スラヴ系言語が異なる言葉と呼べるようになるのは10世紀になってからである。
※この「10世紀初め」の解説は、「スロバキア語の歴史」の解説の一部です。
「10世紀初め」を含む「スロバキア語の歴史」の記事については、「スロバキア語の歴史」の概要を参照ください。
- 10世紀初めのページへのリンク