10世紀から14世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 07:28 UTC 版)
909年、ノルマン人が町を荒らした。10世紀、小さな教区教会のサントゥラリー教会がアルベール・ド・シャヴァンと妻のアデライードから与えられた。初期キリスト教の洗礼堂がここに存在していた可能性がある。 ヴィニュロン広場は、驚くべきことに現在のノートルダム礼拝堂である。992年にセギュール子爵アルシャンボー1世によって修道士たちに割譲されたノートルダム・デュ・デゼール教会(建物は19世紀末の再建)を継承したのである。 1150年頃、ユゼルシュはノルマン人の支配下にあった。12世紀は華やかで、偉大な人物がユゼルシュにやってきて修道院に立ち寄った。1156年にイングランド王ヘンリー2世、1189年にはアリエノール・ダキテーヌと息子のリチャード獅子心王、その後ブルゴーニュ公ユーグ3世、1183年にはトゥールーズ伯レーモン5世がやってきた。12世紀と13世紀はトルバドゥールの時代で、ユゼルシュ生まれのゴセルム・ファディ(Fr)、ユック・ド・ラ・バシュルリー(Fr)がいた。13世紀から14世紀には、世界の指導者数名が訪問するという栄誉を与えられた。1244年と1256年にルイ聖王、1285年にフィリップ3世、1306年に教皇クレメンス5世、1324年にはシャルル4世が訪問した。 1346年から1348年、ペストが恐ろしい被害をもたらした。町は幾度かの封鎖に耐え、ユゼルシュ・ラ・ピュセル(Uzerche-la-Pucelle、汚れなきユゼルシュ)の別称を得た(したがって、汚染されなかったことを意味するNon pollutaが町の紋章に加えられた)。1374年、フランス王シャルル5世によって、対イングランド戦においてユゼルシュ住民が見せた強力な防御をたたえ青地に金のフルール・ド・リスが3つ町の紋章に付与された。 14世紀、町は新たな防衛設備を追加した。その後9箇所の門が追加されたが、今日見られるのはベシャリー門である。 当時、高さがあったのはプランス・ノワール塔(エドワード黒太子塔)だが、その起源は明らかでない。病院は1393年からある。ルイ15世の特許状によって1749年、建物は総合病院となった。
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