III期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 19:01 UTC 版)
東斜面に建物群と区画溝が造られる。総柱建物(建物の外周だけでなく内部にも密に柱を立てるもの)が整然と建つところから、正倉院とみられる。当初は丘陵上部まで正倉院と区画溝が延びていたが、後に丘陵上部と東斜面の間に区画溝が造られ、正倉院の区域は東斜面のみになる。建物の方位はふたたび東向きになっている。溝からは8世紀後半の土器が出土するため、この頃に正倉院が成立し、9世紀末か10世紀初めには溝が埋められ廃絶したとみられる。なお、溝からは8世紀前半以前の土器も出土するが、これは古い時期の土器が流入したものと解釈されている。
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III期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 09:51 UTC 版)
がんが子宮外に拡がっているが、骨盤を越えて外には拡がっていないもの。または骨盤内あるいは大動脈周囲のリンパ節に転移を認めるもの。
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III期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 15:15 UTC 版)
期間は10世紀前半から10世紀後半までと推定される。正殿1棟、東脇殿1棟、西脇殿1棟、南門1棟の遺構が発掘された。この期間に礎石立の建築物に建て替えられた。
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