塼仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 14:42 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動塼仏(せんぶつ)は、かつて中国の北魏から唐代に発展し、日本には7世紀に伝来し、発達したレリーフ形式の仏像。
制作
制作方法は、塼が古代中国で作られていた煉瓦の一種を意味するように、あらかじめ制作しておいた雌型に粘土を押し当てて形をとり、乾燥、焼成する。木像や石像と異なり、大量生産に向くメリットがある。新田部親王の邸宅跡(現唐招提寺)からは、部分的に金箔や漆で覆われた塼仏の破片が発掘されており、豪華な装飾を施したものも存在していることが判明している[1]。
使用方法
用途ははっきり解明されていないが、川原寺の裏山遺跡(後に川原寺が焼失した際に被害を受けた仏像や仏具を収めた遺跡)から破片が大量に出土しており、仏具としての性格のほか、仏堂の壁面を塼仏で埋め尽す装飾にも用いられていた説がある。
出土例
出典
- ^ “唐招提寺で「せん仏」片見つかる 天武天皇の子・新田部親王所有か”. 産経ニュース (産経新聞社). (2012年3月21日). オリジナルの2013年3月22日時点におけるアーカイブ。 2012年3月22日閲覧。
塼仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:39 UTC 版)
塔、金堂を中心に4種類の塼仏が出土した。なかでも十二尊連坐塼仏は、如来像を上下3段左右4列に並べたもので、一部金箔が残り釘穴もあることから、塔内部の壁を荘厳していたものと考えられる。
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