その他の出土品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 14:43 UTC 版)
瓦は数が少ないものの白鳳時代まで遡る瓦が出土している。北尾根からは紀寺式軒丸瓦、重弧文軒平瓦が出土。中尾根からは川原寺式軒丸瓦と輻線文縁複弁八葉蓮華文軒丸瓦、重弧文軒平瓦、鬼瓦も出土している。南尾根からは平安時代の瓦が出土しているが、崇福寺跡から南東に550mほどの位置にある長尾瓦窯跡で焼かれたことが分かっている。 塼仏は小金堂と塔の北斜面から出土。いずれも破片であるが、復元すると縦16㎝横12㎝程度の独尊塼仏で、火焔のような後背をおい蓮弁に乗る如来坐像である。定印を組むものと胸で合掌するものの2種類が確認されているが、日本では如来の合掌像は珍しく、初唐様式に類似するとされる。釘穴や背面に残る壁土などから堂内の壁面を荘厳していたと考えられる。また塑像は丈六如来像の螺髪や45㎝ほどの小像の一部が出土している。 泥塔は弥勒堂付近から多数出土した。高さは10㎝前後。どのように用いたものか不明であるが、承保3年の塔供養に用いられた可能性が指摘されている。 いくつかの金属片も出土している。中尾根の東斜面からは梵鐘と水煙(相輪の一部)と思われる金属片が見つかっている。梵鐘片は平安時代の特徴を有するものだが、鋳造に用いられた砂が残るなど実用されたと考えにくく、坩堝や鞴羽口、銅滓なども見つかっていることから、ごく短期間に利用された鋳造工房跡と考えられる。また発掘調査以前に近隣住民が見つけ出していた遺物として仏具と思われる金属椀などが伝わっている。 他に陶器類、陶硯、古銭(皇朝十二銭が全て出土するが宋銭はない)などが出土しているが、いずれも平安末期から降るものは出土しておらず、肥後は平安末期の火災で焼失したのちに崇福寺が当地を離れた可能性を指摘している。
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