大留荒子古墳とは? わかりやすく解説

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大留荒子古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 07:18 UTC 版)

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大留荒子古墳
所在地 愛知県春日井市大留町1丁目
位置 北緯35度15分15.50秒 東経137度00分59.93秒 / 北緯35.2543056度 東経137.0166472度 / 35.2543056; 137.0166472座標: 北緯35度15分15.50秒 東経137度00分59.93秒 / 北緯35.2543056度 東経137.0166472度 / 35.2543056; 137.0166472
形状 円墳
規模 墳径約10m、高さ約2.5m
埋葬施設 横穴式石室
出土品 須恵器・直刀など
築造時期 7世紀前半
地図
大留荒子古墳
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大留荒子古墳(おおどめあらここふん)は愛知県春日井市にある古墳

概要

墳径約10メートルの円墳で、区画整理事業に伴い1988年昭和63年)に発掘調査されたのち翌1989年平成元年)に内津川沿いにある荒子公園に移設された。移設に際しては石室の開口部を約20度南側に移してあるほか、天井石や葺石など不足の石材を別途用意して「築造当時の状態に近づけた」とする形で復元された。出土した金環(耳環)の数から被葬者が複数であった可能性もあり、この地域の有力者の家族墓が想定されている。また、その他の出土品から7世紀前半の築造と考えられている。

周辺には、親王塚古墳天王山古墳など複数の古墳が残されており、同じ集団による古墳群の可能性も指摘されている。

規模と構造

北側から見た墳丘

墳径約10メートル、墳高約2.5メートル。庄内川河岸段丘(標高約28メートル)に位置し[1]、1988年の2度の発掘調査で須恵器や直刀などが出土した。主体部は全長約6メートルの両袖型横穴式石室で、玄室長が約3メートル、羨道が約2.4メートル、奥壁幅は約1.5メートルあり、庄内川の河原石(長径40センチメートル前後)を使用した乱石積みで、持ち送り積みによって上部を狭める形を取っていたが、発掘時にはすでに天井石が石室内に落下していた。

出土品

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 対岸の志段味古墳群なども同じく河岸段丘上に築造されている。

参考文献

  • 春日井市教育委員会民俗考古調査室 編 『味美二子山古墳の時代』 第一分冊 春日井市、1997年
  • 春日井市教育委員会文化財課 編 『平成18年度文化財特別展 春日井の古墳』 春日井市教育委員会、2006年

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