土屋塚古墳とは? わかりやすく解説

土屋塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:46 UTC 版)

狛江古墳群」の記事における「土屋塚古墳」の解説

土屋塚古墳(つちやづかこふん)は駄倉明神古墳(だぐらみょうじんづかこふん)ともいう、岩戸支群に属す造出円墳で、2004年調査によると、直径38.5m、高さは5m規模で、周溝の幅は9m、深さは1.5mほどである。墳丘大部分残存している。墳頂真下辺り粘土槨推定される埋葬施設をもつ。狛江市指定文化財5世紀第3四半期ごろの築造とされる特筆すべき出土した埴輪であろう周溝から発掘され大量円筒埴輪当時墳丘周り綺麗に並べられていたと考えられ出土した円筒埴輪の形は特殊で、透し孔と呼ばれる埴輪中央にある穴が、世田谷区野毛大塚古墳のものに代表される丸い穴をもったものと、 この古墳発掘以前まで、関東最大太田天神山古墳でしか出土しなかった方形透し穴をもったものの2種類がほぼ同じ数ずつ出土していて、埋葬者権力如何に絶大なのだったかを窺わせる2004年マンション建設に伴う緊急調査時、現地視察した日本考古学会会長である甘粕健は埴輪の上部に畿内技術である「ヨコハケ」があることを指摘し畿内若しくは毛野何かしらの関係を持つ豪族の墓なのではないか推定したその上で狛江古墳群が他の古墳群よりも強大なをもっていたことを示していると結論づけている。 その他の出土品としては土師器大型の壺、高坏などがあり、その点から古墳東側にある造出部で墓前祭祀が執り行われていたと推察されている。 マンション建設に伴い墳丘上に避難経路設置をする計画が立つなど、当初大部分破壊を伴う形で計画進んでいたが、これに対し地元住民4581筆の市に対策求め陳情書が市の総務文教委員会提出され一部破壊だけで済んだという経緯がある。 2014年には個人所有となっていた古墳西側狛江市寄付され古墳全体市有となった翌年には説明板設置され、さらに6年後の2021年に土屋塚古墳公園として開園した。他の古墳公園とは違い墳丘登ることはできないが、外から柵越し古墳観察することができる。ただ、古墳公園整備とともに以前はあった墳頂の祠と墳丘鳥居はどちらとも撤去された。 名称について、かつて古墳有していた土屋家から名付けられた。

※この「土屋塚古墳」の解説は、「狛江古墳群」の解説の一部です。
「土屋塚古墳」を含む「狛江古墳群」の記事については、「狛江古墳群」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「土屋塚古墳」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土屋塚古墳」の関連用語

土屋塚古墳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土屋塚古墳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの狛江古墳群 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS