狛江古墳群
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狛江古墳群(こまえこふんぐん)は、狛江百塚 (こまえひゃくづか)ともいい[1][2]、東京都狛江市にある群集墳の形態をとる古墳群である。13基の古墳が現存し、12基の円墳、1基の帆立貝形古墳で構成される。かつては70基ほどの古墳が存在したが[3]、宅地造成などによってその殆どが破壊されてしまった。
注釈
- ^ 現在の野川の流路は本来の流路から変更されている。
- ^ 後漢の時代の中国製船載鏡をリメイクした鏡。これまで全国で13面しか見つかっていない。これと同一の型から作られた鏡が大阪府の古墳から2枚見つかっていることから畿内王権との関係があると推定されている。
- ^ 銅製のブレスレットのようなもの。
- ^ 馬具の一種で、装飾品である。この馬具の出土から、「狛江古墳群の謎を探る」の講演で寺田良喜は、狛江の名は馬に由来すると主張している。
- ^ 前述の通り、現在では否定されている
- ^ 四角い穴のこと
- ^ 具体的には朝顔型円筒埴輪、 鳥付円筒埴輪
- ^ 狛江市の古墳(Ⅰ)の著者の1人。
- ^ プライバシー上の理由により登ことができないという。一応小道が整備されている他、柵には扉も設置されている。
- ^ 特に『狛江の古墳(Ⅰ)』は多く古墳ではない可能性もあるマウンドも古墳として掲載されているためこのように表記する。
- ^ 所在地の住所は旧番地による
出典
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- ^ a b c 経塚古墳前にある看板の記述より。「経塚古墳は、5世紀後半ごろの築造と推定される円墳で、当初、直径40m以上の墳丘に、幅10m以上の周溝がめぐっていました。 以前は、墳丘上に、中世13世紀から16世紀にかけての板碑が、約30基ほど林立していました。そのうち10数基は、いまも泉龍寺などに保存されています。中世墳墓として再利用されたのでしょう。 さらに経典を埋めたという伝承があり、泉龍寺を開創した奈良時代の良弁僧正の墓とする伝承もある複合的な遺跡です。 平成9年12月、狛江ガーデンハウス新築に伴い、泉龍寺と住友不動産株式会社により、土留め等の整備がなされ、貴重な文化財として保存されることになりました。」
- ^ 新編武蔵風土記稿 泉龍寺.
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- ^ “https://twitter.com/hitasura52wo/status/1434469565895872517”. Twitter. 2022年5月3日閲覧。
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- ^ “「古墳にコーフンラジオ」第26回(5月15日午前11:00から)”. 古墳にコーフン協会. 2022年5月3日閲覧。
- ^ “狛江市議会議員辻村ともこ プロフィール”. tomoko. 2022年5月11日閲覧。
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