狛則康
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狛 則康(こま の のりやす)は、平安時代後期の貴族・舞人。狛光時の子。官位は左兵衛少尉。
経歴
幼少の頃に源則遠に養子入りし、仁和寺覚性法親王に童として出仕した。康治2年(1143年)に左兵衛少尉に任じられ鳥羽院に仕える武士に昇格し、同年のうちに狛姓に復する。久安6年(1150年)、29歳の時に宴席(狛光近邸)で狼藉(光近を殴ったとされる)を働き、それがきっかけで出家した。この時に隠棲地を中川寺周辺に定め、法名を寂禅とした。
逸話
- 則康は舞踊に秀でており、仁和寺覚性法親王に籠愛されたという。
参考
- 狛則康のページへのリンク