狛林正一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 05:04 UTC 版)
狛林 正一 こまばやし しょういち | |
---|---|
別名 | 狛林正一(まさかず)[1] |
生誕 | 1927年 |
出身地 |
![]() |
死没 | 1978年3月17日 |
ジャンル | 演歌・歌謡曲 |
職業 | 作曲家・編曲家 |
狛林 正一(こまばやし しょういち、1927年[2] - 1978年3月17日[3])は、日本の作曲家、編曲家。京都市出身[2]。本名は同字で「正一」を「まさかず」と読む[1]。
経歴
ギター好きが講じて作曲家としての活動を開始。日本コロムビア専属の作曲家として梶光夫のデビュー曲『黒髪』や、小林旭のヒット曲『ギターを持った渡り鳥』などを手掛けた[2][4]。
楽曲提供作品
シングル表題曲は太字
- 有田弘二
- 『まごころ』(1968年、作曲)
- 『二人の泪』(1968年、作曲・編曲)
- 梶光夫
- 『黒髪』(1963年、作曲・編曲)
- 『夢のやまなみハイウェー』(1964年、作曲)
- 『霧の別れ』『東京の若い星』(1965年、作曲)
- 『伊豆の踊り子』『ぼくの心が燃えたのは』(1966年、作曲)
- 『ふりそで』(1967年、作曲)
- 梶光夫、広瀬みさ
- 『いつも二人で歩く街』(1964年、作曲)
- 神戸一郎
- 『愛の枯葉』(1961年、作曲・編曲)
- 『リンゴちゃん』(1962年、作曲・編曲)
- 北原謙二
- 『白い野菊の丘』(1963年、作曲・編曲)
- 小林旭
- 『ギターを持った渡り鳥』『口笛が流れる港町』(1959年、作曲・編曲)
- 『さすらい』(1960年、作曲・編曲)
- こまどり姉妹
- 『アンコ可愛や』(1961年、編曲)
- 小林旭、こまどり姉妹
- 『おけさ数え唄』(1960年、編曲)
- 五月みどり
- 『愛してやんない』(1962年、作曲)
- 畠山みどり
- 『それを信じて今日まで二年』『あゝ無情』(1963年、作曲・編曲)
- 本間千代子
- 『若い海』『白いサキソフォン』(1966年、作曲)
- 守屋浩
- 『俺は銀座の騎兵隊』(1960年、作曲・編曲)
- 『サイクリングの仲間たち』(1960年、編曲)
- 『恋の空き椅子』(1961年、編曲)
- 『イヤンバ・ヤンバ』(1961年、作曲・編曲)
- 『北風の旅人』(1967年、作曲)
- 『さよならの後にあなたが残る』『ネオン街唱歌』(1970年、作曲)
参考文献
- 著作権資料協会 編『著作権者名簿』昭和37年版(1962年) 全国書誌番号:48014194
- 日外アソシエーツ 編『昭和物故人名録 昭和元年~54年』(1983年) NCID BN01655634
出典
関連項目
- 狛林正一のページへのリンク