狛林正一
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狛林 正一 こまばやし しょういち | |
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別名 | 狛林正一(まさかず)[1] |
生誕 | 1927年 |
出身地 |
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死没 | 1978年3月17日 |
ジャンル | 演歌・歌謡曲 |
職業 | 作曲家・編曲家 |
狛林 正一(こまばやし しょういち、1927年[2] - 1978年3月17日[3])は、日本の作曲家、編曲家。京都市出身[2]。本名は同字で「正一」を「まさかず」と読む[1]。
経歴
ギター好きが講じて作曲家としての活動を開始。日本コロムビア専属の作曲家として梶光夫のデビュー曲『黒髪』や、小林旭のヒット曲『ギターを持った渡り鳥』などを手掛けた[2][4]。
楽曲提供作品
シングル表題曲は太字
- 安達明
- 『僕のカーネーション』『さんざしの花咲けば』『夕焼け雲と母とぼく』(1965年、作曲)
- 『風の町かど』『夕顔の人』(1966年、作曲)
- 有田弘二
- 『まごころ』『二人の泪』(1968年、作曲)
- 梶光夫
- 『黒髪』(1963年、作曲)
- 『夢のやまなみハイウェー』(1964年、作曲)
- 『霧の別れ』『東京の若い星』(1965年、作曲)
- 『伊豆の踊り子』『ぼくの心が燃えたのは』(1966年、作曲)
- 『ふりそで』(1967年、作曲)
- 神戸一郎
- 『愛の枯葉』(1961年、作曲)
- 『リンゴちゃん』(1962年、作曲)
- 北原謙二
- 『白い野菊の丘』(1963年、作曲)
- 小林旭
- 『ギターを持った渡り鳥』『口笛が流れる港町』『いとしあの娘の涙雨』(1959年、作曲)
- 『ノーチヨサン節』『さすらい』『アキラのおてもやん』『アキラのブンガワンソロ』(1960年、作曲)
- 『ダンチョネ節』『鹿児島おはら節』『ズンドコ節』『アキラのツーレロ節』『アキラのホイホイ節』
『アキラのチョンコ節』『アキラの炭坑節』『アキラの北海盆唄』(1960年、編曲) - 『アキラのまっくろけ節』『続さすらい』『アキラのチンチロリン』『夕やけは赤い幌馬車』(1961年、作曲)
- 『アキラのデカンショ』『黒い傷痕のブルース』『チュンガを踊ろう』『北帰行』『落日のシャイアン』
『アキラのおいとこ節』『恋のチュンガ』『惜別の唄』(1961年、編曲) - 『郷愁[注釈 1]』『アキラでツイスト』『俺もゆくから君もゆけ』『旅愁』『ひとりぼっちの散歩道』
『追憶のブルース』(1962年、作曲) - 『サーカスの唄』『渚のチャペル』『ダヒル・サヨ』『秋の銀座』『放浪の唄』『ツイスト・ナンバー・ワン』
『流浪の唄』(1962年、編曲) - 『アキラでボサ・ノバ』『俺は地獄の部隊長』(1963年、作曲)
- 『つらい恋だぜ』(1967年、編曲)
- 『幸せの切符』『七十年子守唄』『白い灯影のブルース』『旅に出る若き友に』(1970年、作曲)
- こまどり姉妹
- 『アンコ可愛や』(1961年、編曲)
- 五月みどり
- 『愛してやんない』(1962年、作曲)
- 畠山みどり
- 『それを信じて今日まで二年』『あゝ無情』(1963年、作曲)
- 広瀬みさ
- 『夜のギター』『甘い誘惑』『ごっちゃな気持』『男が見てる』『ガーベラの夢』『ひとりはいや』『甘い噂』
『しびれちゃったの』(1964年、作曲) - 『恋はすぐそこ』『女の涙』『こっちをむいて』『にくい彼』(1965年、作曲)
- 『夜のギター』『甘い誘惑』『ごっちゃな気持』『男が見てる』『ガーベラの夢』『ひとりはいや』『甘い噂』
- 本間千代子
- 『若い海』『白いサキソフォン』(1966年、作曲)
- 守屋浩
- 『俺は銀座の騎兵隊』(1960年、作曲)
- 『サイクリングの仲間たち』(1960年、編曲)
- 『イヤンバ・ヤンバ』(1961年、作曲)
- 『恋の空き椅子』(1961年、編曲)
- 『北風の旅人』(1967年、作曲)
- 『さよならの後にあなたが残る』『ネオン街唱歌』(1970年、作曲)
- 梶光夫、広瀬みさ
- 『いつも二人で歩く街』(1964年、作曲)
- 小林旭、こまどり姉妹
- 『おけさ数え唄』(1960年、編曲)
参考文献
- 著作権資料協会 編『著作権者名簿』昭和37年版(1962年) 全国書誌番号:48014194
- 日外アソシエーツ 編『昭和物故人名録 昭和元年~54年』(1983年) NCID BN01655634
脚注
出典
注釈
関連項目
- 狛林正一のページへのリンク