本寺院の位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 04:42 UTC 版)
本寺院は、いわゆる七堂伽藍を備えた大規模な古代寺院である。創建瓦を焼造した瓦窯跡が近隣に残り、瓦の製造元と供給先の関係がわかる。遺物や遺構から寺院が中世まで存続したことがわかる点も貴重である。 出土品のうち、棰先瓦、塑像、塼仏、舎利孔蓋などは、いずれも東日本ではまれな遺物であり、当寺院と畿内との強い結びつきを感じさせる。 『将門記』には、平将門に敵対する平良兼の軍勢が結城郡法城寺の近くを通るという記述がある。この法城寺については、「結城寺」の誤記ではないかとする説もあったが、結城廃寺跡から「法成寺」のヘラ書きのある瓦が出土したことから、結城廃寺の寺号が法成寺であったことが判明した。古代の廃寺跡で寺号が確認された数少ない事例の一つである。
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