斎尾廃寺跡
名称: | 斎尾廃寺跡 |
ふりがな: | さいのおはいじあと |
種別: | 特別史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 鳥取県 |
市区町村: | 東伯郡琴浦町 |
管理団体: | 琴浦町(昭15・3・13) |
指定年月日: | 1935.12.24(昭和10.12.24) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | 昭和27.03.29 |
追加指定年月日: | |
解説文: | 大字齋尾ノ原野ニ在リ東西ニ相對セル二個ノ土壇上ニハ各安山岩ノ礎石ヲ存シ、西方ハ塔阯タルコト明カナルヲ以テ東ノモノハ金堂阯ト推定セラル、金堂阯ノ北ニ稍低ク七間四面ト認メラルル礎石ノ配列アリ又金堂阯ノ南ニ中門阯ト認ムベキ土壇ノ一部アリ附近ヨリ周縁ニ雷文ヲ繞シタル蓮華文ノ鐙瓦、忍冬唐草ヲ配シタル字瓦並ニ鴟尾ノ破片ヲ發見シ奈良朝ニ於ケル法隆寺式伽藍ノ遺阯ト認メラレ山陰地方稀有ノモノナリ 大字斉尾にあり、東西に相対して二箇の土壇が存し、西方は塔跡で、東方は金堂跡と認められる。塔跡には四天柱礎・側柱礎とを存し方3間で一辺約21尺と推定せられ金堂跡も礎石の配列によって5間に4間の堂宇のあったことが推定せられる。金堂跡の北に7間に4間の堂宇を思わしめる礎石の配列があり講堂跡と認められる。又金堂跡の南に中門跡と推察せられる土壇の一部が存する。寺域より鐙瓦、宇瓦並びに鴟尾の破片等が発見されている。 この寺跡は奈良時代に属するものと認められるが堂塔の配置に所謂法隆寺式伽藍の形式を示しており、殊に塔跡・金堂跡・講堂跡の保存は良好でよくその遺構を示し、わが国におけるこの時代の寺跡としてきわめて顕著であり学術上の価値が特に深い。 |
斎尾廃寺跡
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斎尾廃寺跡(さいのおはいじあと)は、鳥取県東伯郡琴浦町槻下にある飛鳥時代後期から奈良時代の寺院跡。国の特別史跡に指定[1]されている。
概要
東に金堂、西に塔が建つ、法隆寺式伽藍配置の寺院跡である。寺域は東西160メートル・南北250メートル、面積約4万平方メートルに及ぶ大規模なもの。1952年(昭和27年)3月29日に国の特別史跡に指定された。金堂と塔については土壇と礎石が残り、講堂の礎石と中門の土壇も遺存している。白鳳時代創建の山陰を代表する寺跡である。
遺構の残存状況が良好であることなどから、山陰地方で唯一の国指定の特別史跡となっている。遺跡からは瓦や土器類が多数出土しており、琴浦町生涯学習センター「まなびタウンとうはく」や現地近くの「白鳳館」に寺院の再現模型や出土品の一部が展示されている。軒丸瓦は紀寺跡、軒平瓦は法隆寺の瓦と文様が共通している。
文化財
国の特別史跡
斎尾廃寺跡 - 1935年(昭和10年)10月24日に国の史跡に指定。1952年(昭和27年)3月29日に国の特別史跡に指定[1]。 所在地は、鳥取県東伯郡琴浦町大字槻下字上斉尾。
発掘調査
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アクセス
ギャラリー
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金堂跡
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塔跡と大山
脚注
参考文献
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- 琴浦町 編『特別史跡斎尾廃寺跡・史跡大高野官衙遺跡保存活用計画』琴浦町、2018年3月。
- 鳥取県教育委員会 編『鳥取県の文化財』2008年3月。
- 中原斉『白鳳・天平文化の華 因幡・伯耆の古代寺院』鳥取県〈鳥取県史ブックレット21〉、2019年9月。
関連項目
外部リンク
- 斎尾廃寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 白鳳の郷・斎尾廃寺跡 - 琴浦町観光協会
- 斎尾廃寺跡 - 鳥取県ホームページ「とっとり文化財ナビ」
- 琴浦町生涯学習センター「まなびタウンとうはく」 - 琴浦町ホームページ
- 伊勢崎地区コミュニティ施設 「白鳳館」 - 琴浦町ホームページ
座標: 北緯35度28分53.4秒 東経133度42分41.4秒 / 北緯35.481500度 東経133.711500度
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