旧弘道館とは? わかりやすく解説

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旧弘道館

名称: 旧弘道館
ふりがな きゅうこうどうかん
名称(棟): 正庁
名称(ふりがな): せいちょう
番号 1581
種別1: 近世以前/その他
国宝重文区分 重要文化財
指定年月日 1964.05.26(昭和39.05.26)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 茨城県
都道府県 茨城県水戸市三の丸119
所有者名: 国(財務省)
指定基準
管理団体名: 茨城県
管理団体住所 茨城県茨城県水戸市笠原町978番6
管理団体指定年月日 1978.12.06(昭和53.12.06)
構造形式 二十四畳(床、、附書院付)十五畳、十二畳、二十四畳(床付)、
十畳、十二畳(押入付)、六畳玄関入側廊下より成る、一重南面
北面及び玄関入母屋造西面寄棟造桟瓦
時代区分 江戸末期
年代 天保12(1841)
解説文: 天保十二年(一八四一)に竣工した水戸藩学校である。正庁文武試驗するところ至善堂藩主の坐所である。ともに大規模な書院造である。学校建築代表作国有大蔵省所管)で、特別史跡指定されており、茨城県管理に当っている。

旧弘道館

名称: 旧弘道館
ふりがな きゅうこうどうかん
種別 特別史跡
種別2:
都道府県 茨城県
市区町村 水戸市三の丸
管理団体 茨城県(大11・11・7)
指定年月日 1922.03.08(大正11.03.08)
指定基準 史4
特別指定年月日 昭和27.03.29
追加指定年月日
解説文: 舊ト水戸藩藩學ニシテ天保年徳川齊昭之ヲ創メ藩士子弟ヲシテ此ニ文武ノ道ヲ講セシメ弘道館ノ名嘗テ天下ニ高シ域内鹿島神社聖廟弘道館碑等アリ
建築多ク当時ノ物ニシテ舊規尚ホ存ス
水戸藩藩学であって徳川斉昭創立にかかり、弘道館記は既に天保九年に撰ばれていたが、天保十二年假に開館、ついで安政四年に至って開館式を行った
南東に向って正門開き外側番所設け正門入って正面学校御殿と云はれる正庁建てられ、これにつづいて至善堂がある。維新後文武その他の学寮取り拂はれ、敷地も縮少し、更に今次戦災によって、孔子廟鹿島神社及び八卦堂燒失したが、質実にして堂々たる正庁至善堂始め孔子廟の戟門、弘道館記の碑等、遺存し、孔子廟はその礎石によって旧規を偲び得べく、著名な藩学してまた江戸時代盛行しその文運貢献するところの多かった藩学代表的なものとして学術上の価値極めて高い。
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
特別史跡:  斎尾廃寺跡  新居関跡  日光杉並木街道  旧弘道館  旧浜離宮庭園  旧閑谷学校  本居宣長旧宅

弘道館

(旧弘道館 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 04:14 UTC 版)

弘道館(こうどうかん)は、江戸時代後期に日本常陸国水戸藩に作られた藩校。所在地は、茨城県水戸市三の丸1丁目6番内。


  1. ^ 旧弘道館
  2. ^ a b “弘道館記碑の修復完了 東日本大震災で崩壊”. 茨城新聞. (2013年11月19日). http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13847852929702 2013年11月19日閲覧。 
  3. ^ 水戸・弘道館の北柵御門が復元 見学会に120人超参加日本経済新聞ニュースサイト(2019年12月19日)2020年10月8日閲覧
  4. ^ 文化庁報道資料 2015年4月24日「日本遺産(Japan Heritage)」の認定結果及びロゴマークの発表”. 2016年1月22日閲覧。
  5. ^ 文化庁ホームページ/日本遺産/近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―”. 2016年1月23日閲覧。
  6. ^ 『弘道館資料輯』北沢 彦一、1972年、13頁。 
  7. ^ 『近世日本の学問・教育と水戸藩 ―世界遺産暫定一覧表記載資産候補「近世の教育資産」に係る平成21年度調査・研究報告書ー』水戸市教育委員会、2010年、76-77頁。 
  8. ^ 弘道館公園 茨城県営都市公園オフィシャルサイトによる。しかし、改暦のため「明治5年12月8日」は存在しない。1872年12月8日は明治5年11月8日であり、明治5年12月8日となるはずであった日は明治6年(1873年1月6日となった。
  9. ^ 『水戸市史 中巻(五)』瀬谷義彦、1990年、790-791頁。 
  10. ^ 鈴木暎一『「五浦論叢」分冊・歴史編 3 水戸弘道館小史』茨城大学五浦美術文化研究所、2003年、132-133頁。 
  11. ^ 鈴木暎一『「五浦論叢」分冊・歴史編 3 水戸弘道館小史』茨城大学五浦美術文化研究所、1990年、21頁。 
  12. ^ a b c 関弧円『弘道館と偕楽園』茨城県観光協会、1962年、68-73頁。 
  13. ^ a b c 関孤圓『梅と歴史に薫る 水戸の心』川又書店、1969年、148-159頁。 
  14. ^ a b c 水戸市教育委員会事務局 文化課 世界遺産推進室『近世日本の学問・教育と水戸学』水戸市、2011年、144-148頁。 
  15. ^ 水戸史学会『水戸の道しるべ』展転社、1993年、80-81頁。 
  16. ^ 水戸市『広報みと』2009年6月1日(15頁)
  17. ^ 伊藤寅八郎『弘道館建学の精神』茨城県教育界出版、1999年、9頁。 
  18. ^ 松崎睦生『水戸の梅と弘道館』暁印書館、1984年、27頁。 
  19. ^ 水戸史学会編『水戸の道しるべ』展転社、1980年、83頁。 
  20. ^ 松崎睦生『水戸の梅と弘道館』暁印書館、1984年、252頁。 
  21. ^ 小圷のり子「弘道館・偕楽園の被災と復旧への歩み」(PDF)『茨城史林』第36号、103-108頁、ISSN 0913-7238 
  22. ^ 水戸史学会『水戸の道しるべ』展転社、1980年、82頁。 
  23. ^ 名越漠然『水戸弘道館大観』常陸書房、1981年、125頁。 
  24. ^ 松崎睦生『水戸の梅と弘道館』暁印書館、1984年、254頁。 


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