旧閑谷学校
名称: | 旧閑谷学校 |
ふりがな: | きゅうしずたにがっこう |
名称(棟): | 講堂 |
名称(ふりがな): | こうどう |
番号: | 0160 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 国宝 |
指定年月日: | 1953.11.14(昭和28.11.14) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 岡山県 |
都道府県: | 岡山県備前市閑谷 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | 岡山県 |
管理団体住所: | 岡山県岡山県岡山市内山下2丁目4番6号 |
管理団体指定年月日: | 1958.12.12(昭和33.12.12) |
構造形式: | 桁行19.4m、梁間15.6m、一重、入母屋造、本瓦葺 |
時代区分: | 江戸中期 |
年代: | 元禄14(1701) |
解説文: |
旧閑谷学校
附 椿山石門津田永忠宅跡および黄葉亭
名称: | 旧閑谷学校 附 椿山石門津田永忠宅跡および黄葉亭 |
ふりがな: | きゅうしずたにがっこうつけたりつばきやま・せきもん・つだながただたくあとおよびこうようてい |
種別: | 特別史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 岡山県 |
市区町村: | 備前市閑谷 |
管理団体: | 岡山県(大11・11・7) |
指定年月日: | 1922.03.08(大正11.03.08) |
指定基準: | 史4 |
特別指定年月日: | 昭和29.03.20 |
追加指定年月日: | |
解説文: | 寛文六年岡山藩主池田光政封内ノ子弟教養ノ爲ニ創メシモノナリ津田永忠専ラ經營ノ事ニ當リ講堂聖堂門墻磴道其ノ他附屬工作物等ハ尚ホ舊時ノ規模ヲ存ス芳■廟ハ今縣社閑谷神社ニシテ光政ヲ祀リ舊域内ノ一部ハ現時縣立閑谷中學校ノ敷地ニ用ヒラル 寛文6年、岡山藩主池田光政が領内庶民子弟教養のため創めたもので、一部変改の跡はあるが、聖廟、講堂、小斎、習芸斎、文庫、門、石塀、石橋、石門等の主要部が極めてよく遺存している。聖廟の東に接して光政を祀る芳烈祠(閑谷神社)が建てられ、その東隣に光政の髪瓜歯を埋めた椿山がある。また附近に創立に当って専ら経営のことに当った津田永忠の宅跡及び黄葉亭がある。 郷学ではあるが、規模、建造物何れも優れ、江戸時代における学校施設の典型として教育史上価値が極めて高い。 |
閑谷学校
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 19:48 UTC 版)
閑谷学校(しずたにがっこう)は、江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校。所在地は岡山県備前市閑谷。「旧閑谷学校」として特別史跡に指定され、講堂は国宝に指定されている。
注釈
- ^ たとえば「哲学」や「科学」という語も西周の考案した訳語である。
- ^ 学田に充てられた友延新田は、儒教的理想とされた古代中国の井田制に倣って造成されたものである。
- ^ 「中庭」は「なかにわ」ではなく、建物の名称である。
出典
- ^ 岡山県備前市 ホームページ
- ^ a b [『特別史跡 旧閑谷学校』 現地配布パンフレット]
- ^ 日本地誌研究所 編『日本地誌』 第17巻 (岡山県・広島県・山口県)、二宮書店、1978年、9頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf 資料館の掲示より読取
- ^ a b 学校顕彰保存会 「閑谷」への愛着つづる 「研究」第15号発刊 岡山移住の子孫が寄稿 2012.01.20 東備-16版 24頁 山陽新聞朝刊 写有 (全644字)
- ^ 『山陽新聞』明治三十一年十二月十日
- ^ 平成13年9月14日文部科学省告示第148号
- ^ サイエンスチャンネル「割れない瓦の秘密に探る~旧閑谷学校・備前~」
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