旧開明学校校舎
名称: | 旧開明学校校舎 |
ふりがな: | きゅうかいめいがっこうこうしゃ |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 2337 |
種別1: | 近代/学校 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1997.05.29(平成9.05.29) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 愛媛県 |
都道府県: | 愛媛県東宇和郡宇和町卯之町3-110 |
所有者名: | 宇和町 |
指定基準: | (三)歴史的価値の高いもの |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 木造、建築面積169.4m2、二階建、正面外廊下及び玄関附属、寄棟造、 桟瓦葺 |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治15(1882) |
解説文: |
近代(学校): | 旧茨城県立土浦中学校本館 旧茨城県立太田中学校講堂 旧遷喬尋常小学校校舎 旧開明学校校舎 旧開智学校校舎 早稲田大学大隈記念講堂 明治学院インブリー館 |
開明学校
(旧開明学校校舎 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 05:54 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動旧開明学校校舎 | |
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正面外観 | |
情報 | |
用途 | 博物館[1] |
旧用途 | 校舎[2] |
構造形式 | 木造、地上2階建、寄棟造、桟瓦葺、正面外廊下及び玄関附属[2] |
建築面積 | 169.4[2] m² |
竣工 | 1882年(明治15年)[2] |
所在地 | 愛媛県西予市宇和町卯之町三丁目110番地[2] |
座標 | 北緯33度21分51.3秒 東経132度30分49.0秒 / 北緯33.364250度 東経132.513611度座標: 北緯33度21分51.3秒 東経132度30分49.0秒 / 北緯33.364250度 東経132.513611度 |
文化財 | 国の重要文化財[2] |
指定・登録等日 | 1997年5月29日[2] |
開明学校(かいめいがっこう)は1882年(明治15年)に愛媛県西予市宇和町(旧・東宇和郡宇和町)に建てられた、四国最古の小学校である。重要伝統的建造物群保存地区として選定されている宇和文化の里(宇和町卯之町)の施設のひとつ[3]。
概要
開明学校の前身は1869年(明治2年)に左氏珠山の門下生や町民の有志により建てられた私塾・申義堂であった。1872年(明治5年)、申義堂を校舎として開明学校が開校。1882年(明治15年)に現存する校舎が竣工した。その後、校名や用途をたびたび変更し、1976年からは教育資料館として、戦前の教科書と学校経営資料など約6000点を展示している。[1]
旧開明学校校舎は、木造2階建、桟瓦葺きで、窓枠をアーチ状につくるなど、わずかに洋風の意匠を取り入れた擬洋風建築である。地元の大工によって建築された擬洋風建築であり、建築史上、教育史上に価値が高い。また、屋根裏から発見された「開明学校新築始末書」という銘札によって、建築の時期と事情が明らかである。歴史的価値の高いものとして評価され1997年5月に国の重要文化財に指定された。[1]
周辺
- 宇和町卯之町(重要伝統的建造物群保存地区)
- 宇和文化の里 - 先哲記念館、民具館、米博物館
関連項目
脚注
参考文献
- 文化庁文化財部 (1997). “新指定の文化財”. 月刊文化財 (第一法規) (407). ISSN 00165948.
- 文化庁. “旧開明学校校舎”. 国指定文化財等データベース. 2015年4月28日閲覧。
- 西予市 (2007年). “西予市宇和文化の里条例”. 2015年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月28日閲覧。
- 西予市観光協会. “観光情報 > 開明学校”. せいよ観光物産サイト. 2014年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月28日閲覧。
- 旧開明学校校舎のページへのリンク