旧開明学校校舎とは? わかりやすく解説

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開明学校

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 05:54 UTC 版)

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旧開明学校校舎
正面外観
情報
用途 博物館[1]
旧用途 校舎[2]
構造形式 木造、地上2階建、寄棟造、桟瓦葺、正面外廊下及び玄関附属[2]
建築面積 169.4[2]
竣工 1882年(明治15年)[2]
所在地 愛媛県西予市宇和町卯之町三丁目110番地[2]
座標 北緯33度21分51.3秒 東経132度30分49.0秒 / 北緯33.364250度 東経132.513611度 / 33.364250; 132.513611座標: 北緯33度21分51.3秒 東経132度30分49.0秒 / 北緯33.364250度 東経132.513611度 / 33.364250; 132.513611
文化財 国の重要文化財[2]
指定・登録等日 1997年5月29日[2]
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開明学校(かいめいがっこう)は1882年(明治15年)に愛媛県西予市宇和町(旧・東宇和郡宇和町)に建てられた、四国最古の小学校である。重要伝統的建造物群保存地区として選定されている宇和文化の里(宇和町卯之町)の施設のひとつ[3]

概要

開明学校の前身は1869年(明治2年)に左氏珠山の門下生や町民の有志により建てられた私塾・申義堂であった。1872年(明治5年)、申義堂を校舎として開明学校が開校。1882年(明治15年)に現存する校舎が竣工した。その後、校名や用途をたびたび変更し、1976年からは教育資料館として、戦前の教科書と学校経営資料など約6000点を展示している。[1]

旧開明学校校舎は、木造2階建、桟瓦葺きで、窓枠をアーチ状につくるなど、わずかに洋風の意匠を取り入れた擬洋風建築である。地元の大工によって建築された擬洋風建築であり、建築史上、教育史上に価値が高い。また、屋根裏から発見された「開明学校新築始末書」という銘札によって、建築の時期と事情が明らかである。歴史的価値の高いものとして評価され1997年5月に国の重要文化財に指定された。[1]

周辺

  • 宇和町卯之町(重要伝統的建造物群保存地区)
    • 宇和文化の里 - 先哲記念館、民具館、米博物館

関連項目

  • 旧開智学校 - 明治時代初期に建てられた校舎を利用した教育博物館。1987年に開明学校と姉妹館提携している[4]

脚注

  1. ^ a b c 文化庁文化財部 1997.
  2. ^ a b c d e f g 文化庁.
  3. ^ 西予市 2007.
  4. ^ 西予市観光協会.

参考文献



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