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寺跡

読み方:テラアト(teraato)

所在 宮城県刈田郡七ケ宿町

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒989-0602  宮城県刈田郡七ヶ宿町寺跡

寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 04:42 UTC 版)

結城廃寺跡」の記事における「寺跡」の解説

寺域画する区画溝は、奈良時代のものと中世のものとがある。奈良時代の溝で囲まれ寺域は、南北250メートル東西180メートルに及ぶ。なお、寺域北辺の溝は未検出である。中世の溝で囲まれ寺域は、東辺266メートル、西辺250メートル、南辺111メートル北辺132メートル不整四辺形で、奈良時代寺域比べ東西方向の幅が狭くなっている。 中心伽藍前述のとおり法起寺伽藍配置で、中門回廊金堂、塔、講堂僧房の跡が検出されている。中門から出て左右に伸びる回廊は、伽藍中心部囲み北側に建つ講堂左右に達する。回廊規模東西74メートル東西回廊外縁部間の距離)、南北66メートル同様に南北回廊外縁部間の距離)である。回廊囲まれ内側には、東に塔、西に金堂が建つ(金堂と塔の位置関係は、法隆寺伽藍配置とは左右逆になる)。これらの中心伽藍跡耕作によって削平されていて、基壇全形とどめておらず、礎石もほとんど残っていない。発掘調査確認されたのは各建物堀込地業基礎工事地固め)の跡である。 中門基壇残っていないが、金堂講堂基壇一部残り金堂跡の東・西南面には河原石、北面には瓦片がみられる塔跡には心礎が残る。回廊跡は、礎石残らないが、礎石根石一部残っている。講堂の北には僧房思われる建物跡があるが、一部確認されたのみである。また、通常伽藍の南にある南門遺構確認されていない中世区画溝が残り古瀬戸常滑など中世陶片出土することから、寺院中世まで存続したことがわかる。ただし、中世建物遺構確認されておらず、中世瓦の出土もない。これは、中世建物堀込地業行わず地表直接礎石置いていたことと、屋根には瓦以外の葺材(檜皮など)を使用していたことによるものと思われる

※この「寺跡」の解説は、「結城廃寺跡」の解説の一部です。
「寺跡」を含む「結城廃寺跡」の記事については、「結城廃寺跡」の概要を参照ください。

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