斎宮跡
名称: | 斎宮跡 |
ふりがな: | さいくうあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 三重県 |
市区町村: | 多気郡明和町 |
管理団体: | 明和町(昭54・9・3) |
指定年月日: | 1979.03.27(昭和54.03.27) |
指定基準: | 史2 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 伊勢湾に注ぐ櫛田川及びその支流祓川の右岸平野の、昭和30年ごろまで「斎宮(さいく)村」といわれた地には、古くから“斎王の森”とよばれてきた伊勢神宮所有の一画が顕彰碑をそなえるのみで、幕末以来の保護・顕彰運動にも拘わらず、伊勢斎宮は長く幻の宮であった。 然るに、昭和45年頃、祓川右岸の古里遺跡に及んだ大規模宅地造成に伴う事前調査の結果、奈良時代の掘立柱建築遺構群・大溝をはじめ、多数の各種土器とともに緑釉陶器、円面硯・蹄脚硯等の検出を見、斎宮遺跡との関連が俄に注目されるに至った。このため三重県教育委員会は、この宅地造成を中止させるとともに、昭和48~50年の3か年にわたり範囲確認調査を実施し、“斎王の森”を中心に南北約800メートル、東西約2キロメートルの範囲に、不整形ながら奈良時代から鎌倉時代に至る大溝や多数の大規模掘立柱建築遺構群ならびに平城京・平安京に次ぐ多量の各種緑釉陶器片を検出し、「楽殿」「宮の前」「御館」などの古字名とともに、160ヘクタールに及ぶこの地一帯が、かつて斎宮の宮殿や斎宮寮の諸寮司が幾世紀にもわたって造営された斎宮跡であることほぼ確定されるに至った。 斎宮の殿舎は、その最盛期と考えられる平安時代には斎宮の居住する内院、斎宮寮が所在する中院、寮に付属する11~13の司その他を含む外院の3区画に分かれ、官制上の定員300人以上を擁する大規模大組織であった。 文献資料に知られるこのような斎宮が、6~7世紀にわたって、どのような建築設計と機能的役割と管理維持が行われたかは、今後の計画的な発掘調査等によって得られる新知見・新資料によって次第に明らかにされるであろうが、その意義はわが国の古代~中世における国家の政治・祭祀・工芸等の分野に従来の資料のみでは計り知れない新生面を切りひらくものであり、その意味で斎宮跡は歴史的に極めて重要な遺跡である。 |
斎宮跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/22 04:19 UTC 版)



斎宮跡(さいくうあと/さいぐうあと)は、三重県多気郡明和町斎宮に所在する斎宮寮および斎宮(伊勢斎王の御所)跡地の遺跡[1]。国の史跡に指定されている[2]。斎宮寮とは、伊勢神宮の祭祀を行うために皇室から派遣された皇女・斎王(斎宮)が執務した場所であり、斎王(斎宮)は天皇の代替わり毎に交替し、南北朝時代まで続いたとされる。斎宮跡は伊勢神宮から約15キロメートル離れており、都と伊勢神宮を結ぶ伊勢道のルート上に位置している[3]。
概要

外周施設が、東西1.5キロメートルにわたる大きな溝が史跡の北端となり、東西のそれぞれの端で南北の溝に接続している。飛鳥・奈良時代から南北朝時代にわたる遺跡であり、史跡西方(古里・中垣内地区)には奈良時代の遺構、東方には平安時代の遺構が検出されている。また、鎌倉時代の遺構は、奈良時代と同じ古里地区と史跡東北部にあり、溝や井戸が検出されている。特に、平安時代の遺構には、南北に4つ、東西に7つに区画された約120メートルの方形地割があり、その内部からは、南北の方位に整然と配置された大型の掘立柱建物が検出されている。その中心部が内院であると推定されており、第1種保存地区に指定されている[1][4]。出土遺物は、土製の飾馬、三彩陶器、緑釉陶器以外に、土師器や水司、膳司、殿司など役所名を墨書した墨書土器も発見されている。これらは古里地区の斎宮歴史博物館に収蔵・展示されている。
保存の経緯
1970年(昭和45年)に住宅団地造成の計画が始まったことから、「三重県文化財と自然を守る会」により、遺跡を守る運動が始まった。その結果、1979年(昭和54年)に国の史跡に指定された。行政側が地権者との調整を行い、順次買い上げが行われている。買い上げ後の管理は、公益財団法人斎宮跡保存協会が行っている[5]。また、遺跡内を伊勢街道が通っていることから、伊勢神宮への街道沿いに位置する歴史資源と連携を図って保存・活用する計画がある[6]。
現在の史跡指定範囲は137ヘクタール(137万平方メートル)におよび、斎宮歴史博物館(三重県埋蔵文化財センター)と明和町による発掘調査が継続的に実施されている[7]。
遺跡の活用
明和町当局は国の史跡である斎宮跡を活用し「斎宮跡歴史ロマン広場」として整備し[8]、観光客の誘致を推進している[9]。1989年(平成元年)に斎宮歴史博物館、1999年(平成11年)にはいつきのみや歴史体験館を開館している[9]。2015年(平成27年)4月には「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が日本遺産に認定された[9]。同年10月24日には三重県が2009年(平成21年)から整備を進めていた「さいくう平安の杜」が完成した[10](竣工式は9月26日にいつきのみや観月会と同時開催した[11])。
アクセス
出典
- ^ a b 文化財保護全国協議会 2006, p. 194.
- ^ 明和町斎宮跡・文化観光課 文化財係. “斎宮跡”. 三重県多気郡明和町. 2024年8月3日閲覧。
- ^ 三重県生活文化部 2010, p. 3.
- ^ 三重県生活文化部 2010, p. 5.
- ^ “財団法人国史跡斎宮跡保存協会”. いつきのみや歴史体験館. 2016年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月18日閲覧。
- ^ 三重県明和町 2010, p. 7.
- ^ 明和町斎宮跡・文化観光課 文化財係. “斎宮発掘情報”. 三重県多気郡明和町. 2024年8月3日閲覧。
- ^ 公益社団法人 三重県観光連盟. “斎宮跡歴史ロマン広場”. 観光三重. 2024年8月3日閲覧。
- ^ a b c 吉野淳一「知名度向上へ知恵絞る 明和の斎宮跡ストーリー日本遺産1年」中日新聞2016年4月4日付朝刊、三重版14ページ
- ^ “関西各地のお知らせ/さいくう平安の杜オープン”. Kansai Window. 関西地域振興財団 (2015年). 2016年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月18日閲覧。
- ^ “第15回いつきのみや観月会とさいくう平安の杜竣工式”. 観光三重. 三重県観光連盟 (2015年). 2016年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月18日閲覧。
- ^ 公益社団法人 三重県観光連盟. “国史跡斎宮跡”. 観光三重. 2024年8月3日閲覧。
参考文献
- 文化財保護全国協議会「新版遺跡保存の辞典」、平凡社、2006年5月。
- 三重県生活文化部『史跡斎宮東部整備基本計画書』(レポート)2010年8月。
- 三重県明和町『史跡斎宮跡を核とした町の活性化基本方針』(レポート)2010年2月。
外部リンク
- 斎宮歴史博物館 - 三重県
- いつきのみや歴史体験館
- 平安絵巻:斎宮跡・国史跡 - Storyで紡ぐたび 〜もののあはれ中南勢ものがたり〜
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『斎王宮跡』 - コトバンク
座標: 北緯34度32分22.6秒 東経136度36分48.9秒 / 北緯34.539611度 東経136.613583度
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