文珠塚古墳
名称: | 文珠塚古墳 |
ふりがな: | もんじゅづかこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 大阪府 |
市区町村: | 堺市上野芝・向ヶ丘町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1971.04.23(昭和46.04.23) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S44-12-010文珠塚古墳.txt: 文珠塚古墳は、国鉄阪和線の上野芝駅南方にあり、履中天皇陵の位置する南方、石津川の支流を隔てた丘陵上にある前方後円墳である。墳丘の全長は、約70メートルあり、後円部の直径約35メートル、高さ約6メートル、前方部の幅約35メートル、高さ約5メートルを計ることができる。埴輪・葺石・周濠などの諸施設は明らかでなく、また内部主体も不明であるが、墳形から推して、おおよそ6世紀頃を中心とした古墳と考えられるものである。 この地域は、概括して応神・仁徳天皇陵を中心とする百舌鳥古墳群の南限界部を構成するところであり、本古墳の位置からすれば、その南端を示すものとされよう。しかしながらこの一帯は、昭和34年頃から市街地化が激しく、すでに他の古墳は失われているが、かつて6世紀を中心とする群集墳(百舌鳥野南古墳群)の所在地として広く知られていたところであり、これに属するものと考えられよう。本古墳は丘陵上の最高所に位置しているなどの占地条件からして、この百舌鳥野南古墳群の中での主墳として位置づけることのできる性格を有するとされる。 古墳周辺は人家密集地となり、また後円頂部の一部には、採土跡もみられるが、なお全体的に墳形はよく保たれている。現在、すでに古墳群としての形態は失われてはいるが、和泉地方における数少ない群集墳の主墳と目されるもので貴重である。 |
文珠塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/14 03:45 UTC 版)
文珠塚古墳 | |
---|---|
| |
所属 | 百舌鳥古墳群 |
所在地 | 大阪府堺市西区上野芝向ヶ丘町 |
位置 | 北緯34度32分48.0秒 東経135度28分54.2秒 / 北緯34.546667度 東経135.481722度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長58m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 円筒埴輪 |
築造時期 | 5世紀 |
史跡 | 国の史跡 |
文珠塚古墳(もんじゅづかこふん)は、大阪府堺市西区上野芝向ヶ丘町1丁772-3に所在する前方後円墳。百舌鳥古墳群内にあり、国の史跡である。
概要
石津川の支流百済川左岸の台地上に位置し、全長58m、後円部の高さ5m、前方部高さ4、5mを測る。天皇陵等に指定されていない周辺の多くの古墳が宅地開発などで破壊されていく中で、墳丘の保存状態が比較的良好のため、1971年(昭和46年)に国の史跡に指定されている。2005年(平成17年)より保存整備計画策定のため、堺市教育委員会により、墳丘の一部が継続的に発掘調査されている。主体部(埋葬施設)の構造や副葬品については未詳であるが、円筒埴輪片が採集されている。時期は川西宏幸による円筒埴輪編年Ⅳ期に属し、5世紀中頃と推定される。
参考文献
- 百舌鳥古墳群の調査1 堺市教育委員会 2008年
- 百舌鳥古墳群の調査2 堺市教育委員会 2009年
関連項目
外部リンク
文殊塚古墳 堺市デジタル古墳百科 - ウェイバックマシン(2009年4月27日アーカイブ分)
- 文珠塚古墳のページへのリンク