主墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 02:22 UTC 版)
宇都宮市にある古墳の多くは、6世紀に築かれた「後期古墳」であり、瓦塚古墳(瓦塚古墳群24号墳)もその1つである。この時代はヤマト王権による地方支配が進み、各集落の長が地方の役人としての性格を帯び、各々古墳を築造した時期に当たる。 前方部を南西に向けた前方後円墳であり、全長48 m・高さ3.3 mである。前方部と後円部で高さが同じであるのが特徴となっている。(厳密には後円部の方が0.8 m高い。)前方部先端の幅は38 m、後円部の直径は28 mである。1992年(平成4年)の時点では、全長45 m、高さ3 m、前方部の幅25 m、後円部の直径20 mと考えられていた。 古墳は2段築成で、葺石は上段にのみ見られる。葺石は河原の玉石を用い、後円部は円の中心を基準にして、玉石で放射状に縦の石列を作り、そのすき間を小ぶりな石で埋めている。墳丘には埴輪が並び、円筒埴輪や形象埴輪が出土している。朝顔形埴輪を含む円筒埴輪は、平成の調査で60点出土したが、細かい破片の状態であり、全体像を復元できるものはなかった。形象埴輪は人物、家形、馬形、鞘形、大刀形、盾形、矛形、靫形が出土し、装飾が派手であるという特色がある。 周囲を周溝(周湟)に囲まれており、周溝は北西部に顕著に残存する。明治の調査では幅10 m・深さ1.3 mとされたが、平成の調査では場所によって幅は3.3 - 9.6 mと差があり、深さは1 m前後であることが判明した。 埋葬施設は後円部にあり、横穴式石室である。平成の発掘によると、羨道の長さは3.1 m、玄室の長さは8.9 mであり、側壁は凝灰岩の切石積みで造られていた。石室からは、明治の発掘で武器類(直刀、刀子、鉄鏃)、馬具類(轡、雲珠〔うず〕)、装身具(金環、管玉、切子玉、緒締玉、小玉)、土師器や須恵器が見つかっている。平成の発掘では石室の攪乱が大きく、石室内は危険な状態であったため、外部からの調査にとどまった。
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