周濠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 21:54 UTC 版)
前方部の前面をのぞいて、周濠の幅は全体に狭いが、ことに東側では極端に狭く、佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)の後円部の周濠が当古墳のくびれ部にくいこんだ状況である。佐紀陵山古墳が先に築造されていたためであろうが、どのような理由から、このように接近させて古墳を築造させたのか不明である。佐紀陵山古墳との時期差は数十年の差はないようであるので、両古墳の被葬者には親族関係など特別な関係が存在したのかも知れない。周濠外には、北から東北にかけて3基の陪塚があって、順次い号、ろ号、ほ号と名付けられている。
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