豊前国分寺跡とは? わかりやすく解説

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豊前国分寺跡

名称: 豊前国分寺跡
ふりがな ぶぜんこくぶんじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 福岡県
市区町村 京都郡みやこ町
管理団体
指定年月日 1976.07.15(昭和51.07.15)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S51-6-023[[豊前国分寺]ぶぜんこくぶんじ]跡.txt: 英彦山塊に発する祓川周防灘注ぎ、その中流域左岸一帯では豊津原と呼ばれる狭長な洪積台地多く発達している。
 豊前国分寺跡はこの台地東北部国分丘陵中央部位置している。伽藍枢要部と目される地域は現在、金光四天王国分寺境内となっており、また明治21年には境内の西に三重塔再建されるなど、旧状は一部変貌しているところもある。しかし周辺に残る地形地割などは往時をよく伝え、これらから推してほぼ方2町の寺域推定することができる。
 伽藍配置などはいまだ不明であるが、一部確認調査結果では、掘立柱建物からなる講堂跡も推定されており、従って各堂宇遺構遺存状況良好であろう考えられるいずれにしても本国寺跡未発掘であり、諸伽藍究明など細部についての検討今後期待されるが、きわめて良好な環境に地を占め古代豊前国をうかがうに足る重要な遺跡である。
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豊前国分寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 07:58 UTC 版)

三重塔
講堂跡
池と三重塔

豊前国分寺跡(ぶぜんこくぶんじあと)は、福岡県京都郡みやこ町にある寺院跡。

概要

奈良時代聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、豊前国国分寺の寺院跡にあたる。天正年間に大友宗麟の兵火により焼失したが、その江戸時代の元禄年間にほぼ復興。明治28年になって新たに高さ23.5mの三重塔が建立され、翌明治29年に落慶法要が行われた[1][2]

発掘調査はこれまでに2回行われている。奈良時代の講堂跡のほか、また鎌倉時代から室町時代にかけて敷地を取り囲んでいた大溝、僧房や回廊の跡と思われる建物跡が見つかっており、奈良時代の豊前国分寺は東西160m、南北160〜220m前後の規模があったものと考えられる[3]

利用情報

  • 所在地
福岡県京都郡みやこ町国分279番地1
  • 入館料
無料
  • 開館時間
9時00分 - 16時00分
  • 休館日
なし(ただし案内所は月曜休館)

交通アクセス

脚注

外部リンク



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