安芸国分尼寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 23:01 UTC 版)
尼寺跡の所在地は詳らかでない。明治初期までは国分寺の東約600メートルに小堂があり、「ニンジン(尼寺)堂」と称されていたことから国分尼寺跡と伝えられていた。また『国郡志下調書出帳』では、「尼寺ノ堂 本尊薬師如来、行基作」の記載が見える。 1977-1979年度(昭和52-54年度)には国分寺の東の国分尼寺推定地で広島県教育委員会による確認調査が実施されているが、国分尼寺の存在を決定づけるには至っていない。
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