ほっけ‐じ【法華寺】
ほっけじ 【法華寺】
法華寺
名称: | 法華寺 |
ふりがな: | ほっけじ |
名称(棟): | 本堂 |
名称(ふりがな): | ほんどう |
番号: | 2123 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1908.04.23(明治41.04.23) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 奈良県 |
都道府県: | 奈良県奈良市法華寺町 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺 |
時代区分: | 桃山 |
年代: | 慶長6(1601) |
解説文: |
法華寺
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法華寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 03:42 UTC 版)
大字桶狭間には古い時代に、下総国の日蓮宗大本山法華経寺の出自とされる日観という僧侶が現れて法華寺(ほけでら)を開創したとする伝承がある。日観は不受不施義を説くために知多方面を広く廻ったというが、その時期は落人らが隠遁生活を始めた前後だといわれ、草庵も落人らの隠れ家がある森の目と鼻の先、現在の和光山長福寺付近であったという。長福寺境内にある弁天池は、かつて日観の草庵と落人たちの住まいの中間にあり、双方が日常的にこの水を使っていたともいわれる。16世紀始めには法華寺も無住となり、以降長らく荒廃したままとなっていたが、1538年(天文7年)もしくは1569年(永禄12年)、その跡地に美濃国山県郡溝口村にある慈恩寺の末寺として善空南立(ぜんくうなんりゅう)開山による和光山長福寺が創建されることになる。 『知多郡史』では、この日観が下総国から中山氏や梶野氏を引き連れてきたとしている。また梶野渡は、落人集団の一人であった中山氏が変装した姿が日観ではなかったかという説をとっている。後に岩滑城主となる中山氏はおそらくは集団の首領として他を統率する立場にあり、北朝による執拗な落人狩りのターゲットとしては重要な位置を占めていたとも推定されることから、僧侶の身なりをして目くらませをしたというわけである。日観が知多半島を遊説していたという伝承は、中山氏が水野氏と渡りを付けるための情報収集や布石作りが目的であったとも受け取れる。また中山氏は代々熱心な法華経信徒といわれ、武士の身であっても法華経僧侶に変装することに違和感や抵抗感を持つことはさのみ無かったとも想像される。そして日観があるとき忽然と姿を消し、法華寺が廃寺となった時期は、中山氏が水野氏の配下に組み込まれ岩滑に移住した時期とも重なるのである。
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