下野国分尼寺跡とは? わかりやすく解説

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下野国分尼寺跡

名称: 下野国分尼寺跡
ふりがな しもつけこくぶんにじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 栃木県
市区町村 下野市
管理団体 下野市(昭521118)
指定年月日 1965.04.09(昭和40.04.09)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日 昭和52.07.28
解説文: S51-12-027[[下野国分尼寺跡]しもつけのこくぶにじあと].txt: 昭和40年4月9日史跡指定された下野国分尼寺跡について、昭和51年12月南門跡とその東西に続く土塁・柵等の遺構所在する南側地域及び寺域北限地域追加指定しようとするのである
S40-5-040下野国分尼寺跡.txt: 史跡下野国分寺跡東方300メートルにある。中門金堂講堂廻廊僧坊一部の跡が発見された。尼寺代表的なものである。
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下野国分尼寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:11 UTC 版)

下野国分寺跡」の記事における「下野国分尼寺跡」の解説

下野国分寺跡東方600メートル位置する寺域南北270メートル東西145メートルで、その東側南北211メートル東西52メートル張り出し部分存在する伽藍配置国分寺同様に東大寺式であるが、塔は建てられなかった。 金堂講堂鐘楼経蔵中門跡

※この「下野国分尼寺跡」の解説は、「下野国分寺跡」の解説の一部です。
「下野国分尼寺跡」を含む「下野国分寺跡」の記事については、「下野国分寺跡」の概要を参照ください。

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