下野国壬生氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 09:29 UTC 版)
「壬生氏」も参照 室町時代、壬生晴富の弟には壬生胤業という者がおり、公家でありながら武芸を好み、諸国に下向した末に下野国に壬生城を築き後の壬生氏を興したと言われている。実際には胤業は毛野氏族の壬生氏(壬生公)の後裔で小槻氏を仮冒したと考えられるので確証はないが、本姓として小槻氏を称した。 その後戦国時代、壬生氏は下野国において壬生・鹿沼を拠点に宇都宮氏などと抗争を続ける。しかし、豊臣秀吉による小田原征伐の際に当主義雄は後北条氏側に加担した上、征伐後に義雄が嗣子無く急死したため、絶家することとなった。
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