下野守護職補任と関東八屋形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 00:07 UTC 版)
「結城氏」の記事における「下野守護職補任と関東八屋形」の解説
室町時代前期には、本来、結城氏の本家筋であった小山氏が小山義政の乱により衰退し、結城基光は下野守護を務め、さらに次男・泰朝が小山氏を継ぐことで、結城氏は勢力の面でも格式の面でも小山氏に肩を並べるようになるなど、関東の有力守護大名として最盛期を迎えた。さらに、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}結城氏は3代鎌倉公方 足利満兼により宇都宮氏や小山氏、佐竹氏、小田氏、那須氏、千葉氏、長沼氏と並んで「関東八屋形」の一つに列し、屋形号を許されるなど、鎌倉府には「結城の間」なる部屋が用意され、一族の栄誉となったという[要出典]。
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