下野国庁跡とは? わかりやすく解説

下野国庁跡

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下野国庁跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 14:59 UTC 版)

前殿(復元)
下野国庁跡
位置

下野国庁跡(しもつけこくちょうあと)は、栃木県栃木市田村町・宮ノ辺に所在する律令制下の地方国庁跡である。1982年昭和57年)10月12日に、国の史跡に指定された。

本国庁跡は、田村町の宮目(みやのべ、宮延)神社境内付近である。下野国府跡の発掘調査が1976年(昭和51年)から始められ、4年次の1979年(昭和54年)に国庁跡が確認された。

発掘結果

国庁跡全景
中央に前殿(復元)。左右の脇殿跡には藤棚。

発掘調査から、国庁範囲は一区画を持ち、周りを掘で囲み、中央に前殿(東西棟)、その後方に正殿(未調査)を配置し、前殿の東・西に長大な南北棟の脇殿を対峙させている四周の各辺の中央に門を設けていた。南門からは幅9メートルの大路が南方に向かって敷設されている。南大路である。この大路に面した西側に建物群が塀で囲まれている。官衙施設である。前殿は正面7間(22メートル)・側面2間(4.8メートル)の規模である。建て替えられている。

こうした建て替えから、大きく4つの時期に分けられる。1期は8世紀前半代[1]、2期は8世紀後半頃から同末(延暦年間の初め)頃に焼失した[2]、3期は9世紀代が中心[3]、4期は10世紀に入って間もない頃まで機能していた[4]

出土品

国庁内外から出土した遺物は、県立博物館(宇都宮市)に展示されている。

100点以上の漆紙文書の出土が特筆される[5]

下野国府

下野国府域全体の発掘調査は未だであるが、東西五町(540メートル)、南北六町(648メートル)程度の広がりがあったと推定されている。

脚注

  1. ^ 出土木簡から天平元年(729年)には実務が始められていた。瓦葺きにはなっていなかった。
  2. ^ 国庁内の建物が整備されていた時期で、脇殿は掘立柱建物であるが、瓦葺きとなる。
  3. ^ 3期の建物とほぼ同位置に建てるが、礎石が使われて入る。
  4. ^ 建物規模がやや小さくなっている。
  5. ^ 下野国庁跡 - とちぎふるさと学習”. www.tochigi-edu.ed.jp. 2023年5月8日閲覧。

参考文献

  • 大金宣亮 著「下野国庁跡」、文化庁文化財保護部史跡研究会監修 編『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版、1991年。ISBN 978-4-8104-0927-7 

関連項目

外部リンク

座標: 北緯36度22分47.5秒 東経139度47分6.3秒 / 北緯36.379861度 東経139.785083度 / 36.379861; 139.785083


下野国庁跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 03:39 UTC 版)

国衙」の記事における「下野国庁跡」の解説

栃木県栃木市田村町所在国史跡『和名抄』に「国府都賀郡」とあるが、その跡が推測とどまっていた。1979年昭和54年)の発掘調査国庁跡確認された。政庁域一町地割り区画をもち四周を塀で囲み中央前殿東西棟)、その後正殿(未調査)を配し前殿東・西長大南北棟の脇殿対峙させている。各辺の中央には門を設け南門から幅9メートル大路が南に走っている。これが南大路であり、西側南側各種官衙建物配置されていたと想定されている。Ⅳ期分けられⅠ期8世紀前半で、中央に二棟の前殿桁行四間梁間二間)、その東西南北棟の東脇殿(桁行十五間梁間二間)・西脇殿(桁行十六間・梁間二間)が確認されている。いずれも檜皮葺掘立柱建物である。

※この「下野国庁跡」の解説は、「国衙」の解説の一部です。
「下野国庁跡」を含む「国衙」の記事については、「国衙」の概要を参照ください。

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