政庁域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 14:39 UTC 版)
「上神主・茂原官衙遺跡」の記事における「政庁域」の解説
遺跡の中央部に位置する政庁域には、「コ」の字形に配列された大型掘立柱建物跡がある。政庁域の周囲には明確な区画がないが、おおよそ東西110メートル、南北95メートルが政庁域の範囲とみられる。政庁の正殿とみなされる東西棟の建物は、一度建て直されている。先に建てられた建物(SB90)は、柱間が桁行5間×梁間2間(実長は17.1×6.2メートル)の身舎の南面に1間幅の庇を設けた建物だった(庇の出は2.4メートル)。建て直された建物(SB91)は一回り規模が大きく、桁行6間×梁間3間、実長は21.1×10.0メートルであった。正殿の手前左右には東脇殿、西脇殿とみなされる南北棟の建物が建ち、正殿とともに「コ」の字形に配置されていた。東脇殿は一部遺構が失われており、全容は不明であるが、推定規模は桁行10間×梁間2間(実長は36.8×4.4メートル)である。対称位置に建つ西脇殿は一度建て直されており、桁行10間×梁間2間(実長は36.2×4.2メートル)である。東脇殿には建て替え痕がみられないことから、当初は正殿と西脇殿の2棟でL字形の構成だったものが、建て替え後に3棟でコの字形の構成に変わったものとみられる。 エリアの西端には西門とみられる建物跡がある。この門は、本遺跡の西0.8キロに位置する西下谷田遺跡の南門と直線的に結ばれる位置にある。両遺跡は互いに目視可能な近さにあり、両者の関連の深いことがうかがわれる。
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