官衙の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 14:39 UTC 版)
「上神主・茂原官衙遺跡」の記事における「官衙の変遷」の解説
官衙としての本遺跡の発展・衰退はI - IVの4期に分けて考えられている。I期は7世紀後半を中心とする時期で、官衙としての初期段階にあたる。II期は8世紀前半を中心とする時期で、政庁の正殿が建て替えられ、東西の脇殿が整備された。III期は8世紀後半を中心とする時期で、遺跡の性格に大きな変化があった。すなわち、政庁域と北方建物跡群が廃絶ないし移転し、正倉域のみが残る。正倉域では、中心となる大型倉庫とその周囲の区画溝が整備された。IVは9世紀前半を中心とする時期で、衰退期とみなされ、瓦葺礎石建ての大型倉庫は掘立柱建物となる。 本遺跡は正倉や政庁とみられる建物群の存在から、古代の河内郡衙跡とみられるが、本遺跡の性格については、近隣の西下谷田遺跡および多功遺跡との相互関連も含め、なお検討の余地がある。
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