遺跡の性格とは? わかりやすく解説

遺跡の性格

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 06:49 UTC 版)

中高瀬観音山遺跡」の記事における「遺跡の性格」の解説

遺跡は、前述のとおり、周囲水田との比高50から60メートル見晴らし良い場所に位置する高地性集落である。本遺跡最盛期であった弥生時代後期は、中国史書(『魏志倭人伝』、『後漢書』東夷伝」)に「倭国乱」「倭国大乱」と記され時代であり、本遺跡にも木柵物見台狼煙など、戦乱への備えのための遺構見出される近年の研究により、倭国大乱時代は、降水量きわだって多かった時期であることが判明しており、気候変動社会の不安定一因であったともいわれている。本遺跡周辺弥生時代後期遺跡比べて規模大きく前後200年以上にわたって存続していることから、軍事的防御のみに特化した集落ではなく地域拠点集落ありながらきわだった高地位置する特異な遺跡位置付けることができる。本遺跡西方丘陵上には、古墳時代前期北山茶臼山古墳及び北山茶臼山西古墳があり、前者からは三角縁神獣鏡出土している。年代的には、本遺跡集落住んでいた人々後の世代がこれらの古墳築造したことも想定される

※この「遺跡の性格」の解説は、「中高瀬観音山遺跡」の解説の一部です。
「遺跡の性格」を含む「中高瀬観音山遺跡」の記事については、「中高瀬観音山遺跡」の概要を参照ください。


遺跡の性格

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:45 UTC 版)

上市黒川遺跡群」の記事における「遺跡の性格」の解説

上市黒川遺跡群として国の史跡指定されているのは、円念寺山経塚えんねんじやまきょうづか)、黒川上山墓跡くろかわうえやまはかあと)、伝真興寺跡でん しんごうじあと)の3か所である。各遺跡は、古来霊峰として信仰の対象となっている剱岳のふもとの丘陵上に位置し中世前期12 - 13世紀)に最盛期迎えた経塚仏教経典弥勒仏出現する未来世に伝えるために埋納した遺跡)、墓地および山岳寺院の跡である。これらの遺跡剱岳への信仰基盤として、互いに関連をもちつつ成立したのであるが、中世後期14 - 16世紀)には衰退し17世紀以降はほとんど宗教活動の跡がみられない。これらの遺跡は、近世以降剱岳信仰とは異なる形の、中世における信仰実態伝えるものとして貴重である。

※この「遺跡の性格」の解説は、「上市黒川遺跡群」の解説の一部です。
「遺跡の性格」を含む「上市黒川遺跡群」の記事については、「上市黒川遺跡群」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「遺跡の性格」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「遺跡の性格」の関連用語

遺跡の性格のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



遺跡の性格のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中高瀬観音山遺跡 (改訂履歴)、上市黒川遺跡群 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS