飛鳥京跡との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:59 UTC 版)
単に「飛鳥京跡」と呼ぶ場合、飛鳥京の中心遺構であった天皇の飛鳥の諸宮跡を指すことが多く、遺跡群を包括する宮都全体を意味するわけではないことに注意が必要である。明日香村には飛鳥京を構成していた諸宮と、それに関連する遺跡は多数あるが、それらは 島庄遺跡、石神遺跡、水落遺跡 など遺跡の存在地の字 (あざ、大字の場合も小字の場合も) を冠するもの 雷丘東方遺跡、甘樫丘東麓遺跡 など遺跡の存在地を他の地理的名称から示したもの 川原寺跡、飛鳥寺跡 など建造物に由来するもの 飛鳥池遺跡、飛鳥京跡苑池遺構 など遺跡の機能や形状を示したもの などがあり、命名において特に規則性はなく、「飛鳥京跡」は、飛鳥地域に散在するこれら時期の異なる宮や邸宅、寺院などの建造物、市や広場、道路など都市関連遺跡の総称・汎称にすぎない。調査の進展により、年代の確定や遺跡の性格や都市における位置づけが明確となって、総合的な把握がなされることが期待される。
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