遺跡の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 16:40 UTC 版)
セレンはマヤ文化圏の南東端に当たっていた。この地域では、紀元前1200年頃に農業を営む小さな集落が成立していたが、西暦200年頃にイロパンゴ山がたびたび噴火し、現在のエルサルバドル中西部にあたる一帯を溶岩と火山灰とで荒廃させたため、誰も住まない土地となった。400年頃に再び人々が住むようになり、6世紀になるとセレンの村落が築かれたと考えられている。 しかし、590年頃に、 別の近隣の火山であるロマ・カルデーラ山(英語版)が噴火し、村落は14層の火山灰に埋もれてしまった。村民たちは避難することができたので巻き込まれた遺骸などは見つかっていないが、慌しい避難だったらしく、日用道具類、陶磁器類、家具、果ては食べかけの食事などまでが後に残された。比較的低い温度の火山灰が、わずか数時間のうちに4mから8mの厚い層をなして村落をすっぽりと包み込んだおかげで、遺跡の保存状態はかなり良好なものとなったのである。
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