佐賀県吉野ヶ里遺跡墳丘墓出土品とは? わかりやすく解説

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佐賀県吉野ヶ里遺跡墳丘墓出土品

主名称: 佐賀県吉野ヶ里遺跡墳丘墓出土品
指定番号 467
枝番 00
指定年月日 1991.06.21(平成3.06.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書
員数 一括
時代区分 弥生
年代
検索年代
解説文:  本件は、吉野ヶ里遺跡墳丘墓出土品のうち、細形銅剣【ほそがたどうけん】五口、把頭飾【どうはとうしよく】一箇ガラス管玉【くだたま】七九箇に加えて銅鏡はじめ銅剣銅矛どうほこ】などの鋳型【いがた】残欠など青銅器鋳造関連遺物一括指定するのである
 吉野ヶ里遺跡は、昭和五十七年遺跡範囲確認調査昭和六十一年以降本格調査によって、弥生時代から中世までの遺構重複して確認され遺跡である。遺跡は、佐賀平野東部吉野ヶ里丘陵立地する遺跡が最もまとまった様子を示すのは、弥生時代奈良時代で、なかでも弥生時代には丘陵尾根から西斜面にかけて、大規模な環濠集落営まれている。この集落は、弥生時代通じて存続し前期~中期前葉中期前半後期前半後期前半終末大きく三つ段階を経ながら規模拡大していった。環濠集落内外からは竪穴住居跡物見櫓高床倉庫跡と推定される柱穴群がみつかっている。また外濠囲まれ範囲北端部からは中期後半墳丘墓みつかり、そこから現在八基の甕棺墓みつかっている。墳丘墓周囲には、前期末~中期後半甕棺墓かめかんぼ】四〇〇基以上からなる墓地形成されているが、そのなかにあってこの墳丘墓は最高所立地し副葬品も他の墓地比べて卓越した内容である。
 指定した遺物のなかで、把頭飾付の有柄銅剣ゆうへいどうけん】は主に南朝鮮分布するもので、日本では数例が知られるにすぎない。しかも通常は、柄の部分木製作り組み合わせるもので、本例のようにすべてを青銅でつくるものは、朝鮮半島のものとは大きく異なる。また、これまで朝鮮半島からの渡来品と考えられていた古式銅矛が、鋳型発見によって産地再検討迫られていること、あるいは、多数鋳型発見から吉野ヶ里遺跡での青銅器鋳造が確実であることを考えれば、把頭飾付有柄細形銅剣の製作についても再考余地がある。
 ガラス管玉は、成分分析からその材料大陸にあると考えられているが、製作技法関連して製作地含めたガラス製作技術実態に迫る重要なデータ提供している。
 以上の点からみて、吉野ヶ里遺跡墳丘墓出土品中心とする遺物は、吉野ヶ里遺跡性格考え上で重要なだけでなく、弥生時代青銅器ガラス製作技術中国・朝鮮のそれと比較しつつ研究する上できわめて貴重な学術資料である。



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