佐賀県安永田遺跡出土鎔笵とは? わかりやすく解説

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佐賀県安永田遺跡出土鎔笵

主名称: 佐賀県安永田遺跡出土鎔笵
指定番号 481
枝番 00
指定年月日 1993.01.20(平成5.01.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書
員数 一括
時代区分 弥生
年代
検索年代
解説文:  安永田遺跡は、鳥栖【とす】市北西部杓子しやくし】ヶ峰山麓に広がる遺跡群内に所在し、その存在はすでに大正二年の耕地整理で、大量甕棺かめかん】が発見され幾つかの銅戈【どうか】・銅矛どうほこ】が出土したことで知られていた。今回指定文化財は、昭和五十四年から五十六年、鳥栖市教育委員会による発掘調査出土したのである調査では、四九棟の竪穴住居跡十七基の土壙【どこう】、三十六基の甕棺墓かめかんぼ】、炉跡【ろあと】状遺構など検出されそのうち二棟の住居跡と、二基の土壙から銅鐸どうたく】・銅矛鋳型が見つかり、炉跡状遺構存在やふいごの羽口【はくち】等の出土から、この遺跡青銅器鋳造遺跡であることが明らかにされた。
 銅鐸鎔笵残欠五箇あり、文様構成材質形状等から見て銅鐸一箇体の鎔笵可能性大きい。その場合、四箇片面残り一箇が他の面となる。彫り込まれ銅鐸文様横帯文【おうたいもん】である。本例は【ひれ】に複合鋸歯文【きよしもん】を持つが、この種の横帯文銅鐸は「邪視文【じやしもん】の横帯文銅鐸」と呼ばれ、現在四箇類例がある。本鎔笵は、綾杉文【あやすぎもん】で区画され横帯文と、描かれる特徴から、伝島根県出土例近似する。なお、鎔笵面には炭化物を塗型剤【とかたざい】として塗付した痕跡が窮える。
 銅矛鎔笵三箇あり、そのうち現存四九・三センチメートル計る一箇(三片が接合)は、上面に袋部と見なされる彫り込みと、節帯【せつたい】の割付線が細線で施されたままの未製品で、その幅から中細形【ちゆうぼそがた】の鎔笵考えられる。この鎔笵左側面には、上面より古い中広形【ちゆうびろがた】の鎔笵一部残されているが、これは一般的な銅矛形式変遷矛盾し検討要する。他の二箇は、いずれも中広形銅矛の鎔笵残欠である。
 これらの鎔笵は、共伴した土器から弥生時代中期末頃の製作と考えられるまた、遺跡からは鎔笵と同じ材質砥石【といし】が多量に出土しており、使用済の鎔笵をこれに転用し可能性もある。
 以上、本一括は、銅鐸銅矛鋳造同時に専業的に行われたことを示し弥生時代青銅器供給需要あり方新たな視点提起する。特に、九州地方の「銅矛銅剣文化圏」と、近畿地方中心とした「銅鐸文化圏」という、これまでの理解抜本的な再検討を迫るものであるまた、九州における主要な青銅器産地のひとつを代表する文化財としても重要である。



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