弥生時代中期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 07:00 UTC 版)
集落の分立(中期初頭) 3か所の居住域周辺に環濠が巡らされる。 西部居住域で大型建物の建築。 集落の統合(中期中葉) 3か所の居住域の周りに大環濠を掘削し、一つの居住域に統合する。(長径約500メートル、短径約400メートルの不整円形) 内側の環濠は幅8メートル以上、その大環濠を囲むように幅4~5メートルの環濠が4~5重に巡らされる多重環濠。これらの多重環濠群は居住区の外縁を幅150~200メートルで囲み、環濠帯を形成している。各居住区の内部は未調査であるが、村の西南部に河内や近江、紀伊など各地の搬入土器が多く出土する市的な場所、また、南部では木器の未成品や青銅器鋳造関連遺物や炉跡、北部ではサヌカイトの原石や剥片が纏まって出土する所などがあり、各種工人の居住の場所と推定される。南地区の中央部に高床建物がたっていた可能性が高く、中枢部と考えられる。このようなことから大環濠内では、各種の機能別に区画されていたと考えられている。 中期後半 楼閣などの建物・動物・人物の絵画を土器に描く風習の確認。 洪水により環濠が埋没。
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