弥生時代の実年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 15:29 UTC 版)
1996年4月、日本の奈良文化財研究所の光谷拓実が大阪府池上曽根遺跡の大型建物1の柱材(ヒノキ)の年輪年代を調べて紀元前52年であることがわかり、大型建物1は考古学的相対年代では、弥生時代中期後半に当たる蓋然性が高いと公表。これが放射性炭素年代測定によるウイグルマッチングにより追認された。ただし日本列島においては、樹木の分布圏が南北に広大で、地形に高低が激しく、海洋に囲まれているため総じて多湿・多雨であって、気象条件の変化が大きい。その上、火山活動が古来激しい地域において、理論値と実数値とが当然乖離する。そもそも放射性炭素年代測定については、古代に遡るほど実年代と乖離することが指摘されており、このため、他者によって検証されていない年輪年代測定の数値と放射性炭素年代測定の数値が一致したところで、それは何ら証拠になりえない。畿内弥生時代中期後半の1点が紀元前1世紀に存在することが確実視されるようになったとは言い難い。[要出典] それまで、畿内の弥生時代中期後半を紀元後1世紀代とする説が広く知られていたので、実年代が急に約1世紀ほど遡ったように見え、世間に大きな衝撃を与えた。ただし、学術研究の場では中国製青銅器等との交差年代によって北部九州の弥生中期後半が前1世紀代に遡ることは半ば常識化していた。
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