隠岐国分尼寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 23:51 UTC 版)
尼寺跡は、国分寺の南東方約500メートルに位置する(位置)。寺域は方1町(約109メートル四方)と推定され、発掘調査により建物跡6棟・柵跡12条・溝状遺構4条・瓦溜まりなどが見つかっている。建物跡のうち特に、南に廂を有する3×7間の建物、南北に廂を有する3×5間の建物、2×1間の建物がそれぞれ金堂・講堂・中門にあたると見られる。ただし、金堂・講堂が東西に並ぶという通常の寺院とは異なる伽藍配置になることから、周吉郡の役所とする別説もあって詳らかではない。 発掘調査で出土した瓦は、隠岐国分寺境内のほか、教昊寺跡(野方廃寺、安来市)・上淀廃寺跡(鳥取県米子市)の瓦と文様が共通する。そのほかに須恵器・土師器・緑釉陶器なども出土している。 寺跡域は1972年(昭和47年)に島根県指定史跡に指定されている。なお、付近には近世に尼寺も立地した(廃仏毀釈で廃寺)。
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