相模国分尼寺跡
相模国分尼寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 00:02 UTC 版)
尼寺跡は僧寺跡の北、約500メートルのところにある。国分寺同様に伽藍を囲む区画溝から、寺域は175-200メートル四方と見られている。伽藍配置は国分寺とは異なり、中門・金堂・講堂が南北一直線に配置されている。金堂から講堂へ向かって石敷きの通路があり、金堂の北西側には鐘楼、北東側には経蔵があった。また中門と講堂を繋ぐ長方形の回廊があった。 金堂は当初、版築工法による基壇に礎石を置き、その上に瓦葺の建物が建てられていたのが、その後掘立柱の茅葺の建物になったことが確認されている。また基壇そのものの当初は凝灰岩の切石で覆われていたのが、後には石積みのものへと変わっている。 国分尼寺については1918年から1920年にかけて礎石などの調査が行われ、1988年から現在まで断続的に調査が続けられている。相模国分尼寺は発掘によってその概要が明らかになり、律令制下において整備された仏教寺院の貴重な遺構であることが評価され、1997年4月3日に伽藍域の一部が国の史跡に指定された。なお相模国分尼寺跡も相模国分寺跡と同じく、歴史公園として整備される予定である。
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