上総国分寺跡とは? わかりやすく解説

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上総国分寺跡

名称: 上総国分寺跡
ふりがな かずさこくぶんじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 千葉県
市区町村 市原市惣社
管理団体 市原市(昭5・415)
指定年月日 1929.12.17(昭和4.12.17)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日 昭和54.12.22
解説文: S53-12-044[[上総国分寺跡]かずさこくぶんじあと].txt: 昭和4年12月17日史跡指定された上総国分寺跡に近接して寺で用いた瓦を焼いた瓦窯跡が2群営まれている。
 西側神門瓦窯跡群は、昭和49年確認調査により、5基の半地下穴窯が、東向き営まれ国分寺創建期の瓦を焼いていることが判明した南側南田瓦窯跡群は同じく昭和48、49年に調査されたもので、3基の平窯からなることが判明したいずれもロストル式平窯であるが、うち2基は燃焼室穴窯に近い形態をもっていた。残り1基は通常の平窯構造全長約3メートル、炊口を南に向け、燃焼室には6条の牀があり、壁体は瓦と粘土をつんでいる。前者奈良時代から平安時代初めにかけての瓦を焼成しており、後者平安時代さしかえ瓦を焼成したとみらている。
 これらの瓦窯跡は、国分寺付属するものであり、また国分寺消長を知る上で重要なのであるので、現存する神門瓦窯跡群と南田瓦窯跡群のうち1基を追加指定し保存を図るものである
S43-12-019上総国分寺跡.txt: 上総国分寺跡は、市原市東方台地南端にあり、やや離れた東方には尼寺跡もある。これまでの指定地域は、心礎中心とした塔跡範囲のみで寺域全体にまでは及んでいなかった。
 昭和41年からの発掘調査結果伽藍中枢部の金堂講堂中門南北線上に検出され、塔は中門から講堂連なる回廊内側所在することが判明したが、国分寺としては特異な伽藍配置属するものであるまた、寺域を限ると思われる方2町の周溝確認されたので、これに基づき寺域全体追加指定するとともに、その名称を上総国分寺跡に変更するのである
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史跡:  上田城跡  上白岩遺跡  上神主・茂原官衙遺跡  上総国分寺跡  上総国分尼寺跡  上船塚古墳  上野原遺跡

上総国分寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:15 UTC 版)

上総国分寺」の記事における「上総国分寺跡」の解説

国分寺跡は現在の国分寺重複している。周囲に谷や古墳があるため寺域四角形ではない。南北478m、東西北辺:254m・中央:345m・南辺:299m、面積139,000m2に及ぶ(武蔵下野に次ぐ大きさ)。主要な伽藍地は南北219m、東西194mで、大官大寺式の伽藍配置伽藍大きく2期造営時期確認され1期目仮設意味合いが強い。旧国分寺は応永年間頃まで存続確認されている。 なお、千葉県立中央博物館内に当寺復元予想模型が、市原市役所内に塔の復元予想模型がある。 金堂七重塔跡 塔心礎 西門神門瓦窯南田瓦窯僧寺跡・国分尼寺出土 墨書土器史跡上総国分尼寺跡展示館展示

※この「上総国分寺跡」の解説は、「上総国分寺」の解説の一部です。
「上総国分寺跡」を含む「上総国分寺」の記事については、「上総国分寺」の概要を参照ください。

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