七重塔とは? わかりやすく解説

七重塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 13:47 UTC 版)

七重塔(しちじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つ。層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、七重の屋根を持つものを指す。日本では、近世までに建造された大型木造七重塔で現存するものは無い。

概要

神奈川県海老名中央公園内に復元された相模国分寺の七重塔

仏塔の意味や位置づけ等は、五重塔の項を参照のこと。

日本では、聖武天皇勅命により各地に国分寺が設置された際に、寺院とともに七重塔の建設が進められた。このため武蔵国分寺阿波国分寺讃岐国分寺など各地の国分寺の遺構には、七重塔の基壇を含むものもある。東大寺においては、東塔、西塔の二本の七重塔が建設された。平安時代においては道鏡により由義寺(大阪府八尾市)に七重塔が[1]鎌倉時代には東大寺東塔の再建が、室町時代には足利義満により相国寺京都市)に七重塔(高さ36(約109 m))が[2]、また、金閣寺付近には北山大塔が建設されたが[3]、いずれも落雷や兵火により焼失した(なお、金閣寺の北山大塔は義満の命令で焼失した相国寺の七重大塔を移転再建したもので、義満の死後に金閣寺の北山大塔が焼失すると、今度は足利義持の意向で相国寺の元の場所で七重大塔が再建されたという経緯があるため、両者は同じ塔と言える[4][5])。

東大寺七重塔の復元

中央の七重塔が古河パビリオン

日本万国博覧会古河パビリオンは、東大寺七重塔を再現したものであった。このパビリオンは、博覧会終了後に取り壊されたのち、塔先端部の相輪だけが東大寺大仏殿の東側に移されている[6]

東大寺では、創建当初の伽藍復元に向けた整備基本構想があり、構成要素の一つである東塔の再現も視野に含まれているが、実際に建設する可否や時期等は発掘調査が進んでから具体化される見込みである[7]

脚注

  1. ^ “道鏡ゆかり、70m級の七重塔跡…土台と断定”. 読売新聞. (2017年2月9日). オリジナルの2017年2月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170212131248/http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170209-OYT1T50154.html 2017年2月11日閲覧。 
  2. ^ 相国寺七重大塔”. 関連資料. 臨済宗相国寺派. 2021年4月21日閲覧。
  3. ^ 宮川, 佐知子 (2016年7月8日). “金閣寺:敷地内から装飾品出土 七重塔「北山大塔」部材か”. 毎日新聞. https://mainichi.jp/articles/20160709/k00/00m/040/164000c 2017年2月11日閲覧。 
  4. ^ 原田正俊「相国寺の創建と足利義満の仏寺法会」桃崎有一郎・山田邦和 編著『室町政権の首府構想と京都-室町・北山・東山-』(文理閣、2016年) ISBN 978-4-89259-798-5
  5. ^ 冨島義幸「相国寺七重塔とその伽藍」桃崎有一郎・山田邦和 編著『室町政権の首府構想と京都-室町・北山・東山-』(文理閣、2016年) ISBN 978-4-89259-798-5
  6. ^ 再建の宿願 刻む相輪(古今東西万博考)――1970年・大阪 東大寺の七重塔再現」『日本経済新聞』2019年5月28日。オリジナルの2021年8月5日時点におけるアーカイブ。
  7. ^ “七重塔復元へ基本構想 奈良・東大寺 整備は東塔地区から”. 産経新聞. (2013年4月26日). オリジナルの2021年4月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210422180951/https://www.sankei.com/west/news/130426/wst1304260032-n1.html 2017年2月11日閲覧。 

関連項目


七重塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 07:23 UTC 版)

武蔵国分寺跡」の記事における「七重塔」の解説

塔跡1は3間四方武蔵国分寺の七重塔は『続日本後紀』によると835年承和2年)に落雷によって焼失したとされるその後845年承和12年)に男衾郡大領であった壬生吉志福正(みぶのきしふくまさ)私費による再建申し出て許可されている。問題はこの時の再建位置である。従来、七重塔跡は1箇所考えられていたが、2004年平成16年)に地中レーダー調査実施したところ、従来知られていた塔の跡から西に55mの位置仏塔跡と考えられる遺構発見され、現在発掘調査進んでいる。発掘担当研究者グループ従来塔跡を「塔跡1」、新しく見つかった塔跡を「塔跡2」と仮称して研究行っているが、塔跡1からは創建時のものと思われる瓦が検出され塔跡2からはより新し時期焼かれたと思われる瓦が検出されているので、年代的に塔跡2の方が新しいと推測されている。しかし再建時の七重塔が塔跡2の位置存在したのか、それとも再建七重塔も塔跡1に建てられたのかを確定出来史料は見つかっていない。また塔跡2に確認される土台のうえに塔が実際に完成したかどうか検証されていない

※この「七重塔」の解説は、「武蔵国分寺跡」の解説の一部です。
「七重塔」を含む「武蔵国分寺跡」の記事については、「武蔵国分寺跡」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「七重塔」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「七重塔」の関連用語

七重塔のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



七重塔のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの七重塔 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの武蔵国分寺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS