上野原遺跡とは? わかりやすく解説

上野原遺跡

名称: 上野原遺跡
ふりがな うえのはらいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 鹿児島県
市区町村 国分市川内
管理団体
指定年月日 1999.01.14(平成11.01.14)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 上野原遺跡は鹿児島県中央国分市所在する縄文時代早期前葉集落跡である。遺跡錦江湾接した標高25dmの上野原台地立地する上野原台地自体姶良カルデラ錦江湾起源火砕流堆積したシラス台地であるが,台地上には桜島噴出源とする10数層の火山灰厚く堆積している。早期前葉集落跡はこれら火山灰層のうち,約9,500年前に降下した軽石層(P-13)の直下から,良好に保存された状態で発見された。
 集落跡台地中央から台地北縁にかけてのびる自然の浅い谷を利用した2筋の道に沿って広がり竪穴住居跡52棟,集石造39基,土坑260基,煙道付き炉穴16基がいくつかの群をなして配置する
 竪穴住居跡山辺2~5m隅丸方形ないし長方形呈し床面積は3~10平方メートルである。柱穴竪穴住居跡掘り込み外側にくるものが多い。数ヶ所の柱穴外周巡り上屋主柱持たない構造であったらしい。また,住居跡覆土への火山灰堆積状況から一時期の在居は10前後であろう推定される煙道付き炉穴焚き口煙出し2つ掘り込みトンネルでつなぎ二割抜き連結部分に焼土木炭散らばった硬化面がある集石遺構は径30cm前後から,160×120cmほどのものまであり,下部掘り込みのある例もある。安山岩角礫円磯数個から100前後まで積年上げられ中には石皿破片磨石等の石器再利用されている。この連穴土坑集石遺構はともに調理施設考えられ前者薫製作った施設後者は石蒸し料理の跡と推定される土坑住居跡群の間に散在し,特に集中して存在する箇所もある。その規模平面形は径70~150cmの円形長辺60~160cmの長方形長軸90~180cm楕円形など様々なものがあり,貯蔵穴,墓坑などの性格考えられる
 遣物としては,早期前葉前平土器や石鋲・磨製石斧石皿・摩石などがあり,縄文時代道具立てがすべて揃っている
 南九州では石皿磨石示される木の実など植物質食料加工技術,集石造構・煙道付き炉穴そして土器示される食料調理法早くから確立し,それら技術背景列島他地域先駆けて縄文時代草創期から安定した社会営まれた。これまで加世田市栫ノ原遺跡鹿児島市栗山遺跡西之表市奥ノ仁田遺跡などがその状況明らかにしてきたが,上野原遺跡は食料獲待上の技術革新よって集落規模まで拡大した縄文時代初期遺跡として最大集落跡である。軽石層によって保護され50棟以上の住居跡群や多数植物質食料調理加工施設,そして追跡長期にわたる生活痕跡として残され列島における定住生活始まり状況端的に示している。我が国縄文文化幕開きを知る上に欠くことのできない重要な遺跡であり,よって,史跡指定し保存はかろうとするものである
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上野原遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 00:02 UTC 版)

上野原遺跡
上野原縄文の森にある復元集落
鹿児島県における位置
上野原遺跡 (日本)
所在地 鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森
座標 北緯31度42分44.9秒 東経130度48分04.1秒 / 北緯31.712472度 東経130.801139度 / 31.712472; 130.801139
種類 集落遺跡、複合遺跡
面積 36ha(公園用地)
歴史
時代 縄文時代早期、弥生時代中世
追加情報
発掘期間 1986年(昭和61年)~
状態 保存、一部盛土の上遺構を復元し公園化
管理者 公益財団法人鹿児島県文化振興財団
一般公開 公開
文化財指定 1999年(平成11年)、国の史跡

上野原遺跡(うえのはらいせき)は、鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森にある縄文時代早期から中世にかけての複合遺跡。国の史跡。遺跡は歴史公園鹿児島県上野原縄文の森として整備されている。また、展示施設や鹿児島県立埋蔵文化財センター等が敷地内に併設されており、鹿児島県内の考古学研究の拠点となっている。

概要

出土した壺形土器

1986年昭和61年)に、国分市(現・霧島市)において工業団地(国分上野原テクノパーク)の造成中に発見された。同年から1996年平成8年)にかけて鹿児島県教育委員会が発掘調査を行い、縄文時代早期前葉から中世までの遺跡群を含む複合遺跡であることがわかった[1]。特に遺跡群の最下層には発見当時において日本列島で最古の大規模な定住集落跡があり、出土した土器が1998年(平成10年)に国の重要文化財に、遺跡の一部が1999年(平成11年)に国の史跡に指定された。「縄文文化は東日本で栄えて西日本では低調だった」という常識に疑問を呈する遺跡ともなった。特徴的な土器としては、弥生土器に類似した1組の壺形土器が土層から見つかった。

調査

発掘の詳細

上野原遺跡の土層

発掘調査では17層の土層について調査され、1層目から9層目までの範囲で遺跡が確認された。

  • 1層目: 桜島の火山灰(P1- P3)を含む現代の農耕土。土師器陶磁器が確認された。
  • 2層目: 黒色土。山之口式土器、中溝式土器、竪穴建物跡6棟が確認され、近世から中世にかけての遺跡とされる。
  • 3層目: 暗茶褐色土。掘立柱建物1棟、石皿、石斧などが確認され、古墳時代から弥生時代にかけての遺跡とされる。
  • 4層目: 桜島の火山灰(P5)を含む薄えび茶褐色土。多数の土坑、黒川式土器が確認され、縄文時代晩期の遺跡とされる。
  • 5層目: 桜島の火山灰(P7)を含むえび茶褐色土、および鬼界アカホヤ火山灰を含む明橙色土。
  • 6層目: 桜島の火山灰(P11)を含む灰茶褐色土。
  • 7層目: 黒褐色土。様々な種類の縄文土器に加えて集石遺構56基、土坑3基が確認され、縄文時代早期中葉から前葉の遺跡とされる。
  • 8層目: 桜島の火山灰(P13)を含む黒色土。前平式土器、撚糸文土器が確認された。
  • 9層目: 暗茶褐色土。竪穴建物跡、集石遺構、連穴土坑、前平式土器などが確認された。この層と直下の10層目との間に縄文時代早期前葉の遺構が挟まる形になっている。「国内では最古級で最大の定住化した集落」竪穴建物52棟、このうち10棟の竪穴建物内の埋土は桜島噴出の火山灰(9500年前)が詰まっていた。このことから上野原台地の早期前葉には10棟程度の集落が形成されていた。日本列島最古の集落跡。石蒸し料理施設の集石39基、連穴土坑(炉穴)19基、道跡(二筋)、多数の土坑や生活跡[2]
  • 10層目: 桜島の火山灰(P14:サツマ火山灰)を含む黄色土。この層より下の遺跡は確認されていない。

このうち特に桜島火山灰P14の上にあった最下層部の遺跡において、竪穴建物46棟、石蒸調理のための集石遺構が39基、連穴土坑15基、その他の土坑約125基、道の跡2条が確認された。

「連穴土坑」は大小の穴の底面がトンネル状に連なった遺構で、底面や壁面に焼土が確認され調理場跡と考えられている。南九州では縄文草創期から出現し、上野原遺跡以外でも掃除山遺跡栫ノ原遺跡などで確認されている。連穴土坑内からは狩猟獣であるシカイノシシに由来する残留脂肪酸が検出されており、食料の保存加工のための燻製施設とする説がある。

竪穴建物跡のうち10棟については桜島火山灰P13で埋まっていたことから、これらの建物はP14からP13の間、すなわち約9500年前の縄文時代早期前葉に存在していたことが確認された。集落跡の面積は15,000平方メートルに及ぶ。

年代再測定

加速器質量分析装置による年代測定法の精度向上により、2020年までに中央大学と鹿児島県埋蔵文化財センターのチームが測定し直した結果、約9500年前の集落跡の遺物とされたものは約1万700~1万400年前のものと分かった[3]。また双子壺など7500年前のものとされた遺物群も再測定により8800~8550年前とされている[3]

発掘後の状況

遺跡は保護のために埋め戻され、その上に縄文時代の竪穴建物などが復元され、公益財団法人鹿児島県文化振興財団が管理する歴史公園鹿児島県上野原縄文の森」になっている。遺跡から出土した遺物は、園内の「縄文の森展示館」にて見ることが可能である。

アクセス

所在地等

上野原遺跡
上野原遺跡の位置
  • 鹿児島県上野原縄文の森
  • 〒899-4318 霧島市国分上野原縄文の森1-1
  • 鹿児島県立埋蔵文化財センター
  • 〒899-4318 霧島市国分上野原縄文の森2-1

交通

脚注

  1. ^ 鹿児島県立埋蔵文化財センター 2002年 p.54
  2. ^ 新東2007年4月
  3. ^ a b 縄文時代の大集落跡、実は1000年古かった 鹿児島・上野原遺跡 年代再測定で1万年超前と判明”. 南日本新聞 (2022年5月25日). 2022年5月25日閲覧。

参考文献

  • KTS鹿児島テレビ経営企画局編 1997年『鹿児島の縄文文化』国分上野原シンポジウム実行委員会
  • 国分郷土誌編纂委員会編 1998年『国分郷土誌 下巻』国分市
  • 鹿児島県立埋蔵文化財センター 2002年10月5日『上野原縄文の森 常設展示図録』鹿児島県上野原縄文の森 p.54 NAID BB06524049

外部リンク

座標: 北緯31度42分49秒 東経130度48分5秒 / 北緯31.71361度 東経130.80139度 / 31.71361; 130.80139




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