母系のルーツとは? わかりやすく解説

母系のルーツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:46 UTC 版)

縄文人」の記事における「母系のルーツ」の解説

父系のルーツを辿れるY染色体ハプログループ対しミトコンドリアDNAハプログループは母系のルーツを辿ることができる。ただし、ミトコンドリアDNA稀に男性DNA混じることや、人間より検証個体の多いネズミDNA測定では、ハプログループ分岐時期事実とは全く異なっていたから、あくまでもY染色体DNA等、他の資料と共に考察する必要があるミトコンドリアDNA母系)の分析によって縄文人ルーツ一角解明され日本固有のハプログループM7a南方系と共通の遺伝子を持つハプログループBやFを持つことが知られている。宝来聡の研究によると、「東南アジア少数民族から日本列島位置する琉球弧人やアイヌまでが共通の因子を持つ」とされ、形質人類学においてはこれらの人々縄文人最も近いとされることから、縄文人ルーツ東南アジア旧石器時代人との見方が可能である。 これらを裏付けるように、国立科学博物館人類研究部篠田謙一らの研究では、鹿児島県霧島市上野原遺跡縄文人25,000年前)から同様にハプログループM7a検出され縄文人は、現在は海底沈んでいる東南アジア・フィリピン沖のスンダランド起源で、北上して南九州到達し大隅半島西北部小高い台地にある上野原遺跡呼ばれる最古ムラ」から日本列島全域M7a系統縄文人拡散した想定している。このM7a系統は、縄文時代にすでに北海道へ到達していたことが明らかとなっている。 さらに2010年まで沖縄県石垣島白保竿根田原洞穴遺跡から発掘された、旧石器時代人骨国立科学博物館分析した結果国内最古人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち2点ハプログループM7aであることが明らかとなったしかしながら溝口優司は、5万年から6万年前にインド経由し東南アジア放散した東アジア全体祖先 の中から日本列島到達したグループ複数存在し東南アジアから北上する過程台湾南西諸島経由し日本列島到達した場合もあれば、一度北上し1万5千年前にバイカル湖周辺寒冷地適応した後に南下し朝鮮半島中国から日本列島移住した場合バイカル湖経由せずに大陸海岸沿いに北上しブリヤートあたりから南下したルート存在する考えると、日本列島遺伝的勾配をうまく説明できるという説を唱えている。この説の要点は東アジアグループの成立年代が6万年前であり、バイカル湖寒冷地適応したグループアフリカから中央アジア経由したわけではないので、宝来篠田の説とも矛盾しない。 また北海道縄文人ハプログループN9bが最多M7a少なく東北地方縄文人似た傾向示している。このことから縄文人ルーツ一つではなく複数あったと考えられる

※この「母系のルーツ」の解説は、「縄文人」の解説の一部です。
「母系のルーツ」を含む「縄文人」の記事については、「縄文人」の概要を参照ください。

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