上総国府とは? わかりやすく解説

上総国府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 08:54 UTC 版)

市原市」の記事における「上総国府」の解説

律令制において令制国である上総国成立し東海道属す一国となった上総国は、国守に必ず親王補任される親王任国となり、国級は大国ランクされた。親王任国国守となった親王は「太守」と称し官位必然的に他の国守(通常従六位下から従五位上より高く親王太守正四位以上とされた。親王太守現地赴任しない遙任だったため平高望、良兼や菅原孝標がそうであったように、国司実質的長官上総介であった上総国国司政務執る国府中心地域)は市原市国分寺台から能満にかけての一帯だったと推定される市原市国分寺台から国分寺跡、国分尼寺跡が発掘されているが、国府遺構はまだ見つかっていない。中世国府市原市能満府中にあった考えられている。 上総国分寺跡 国分寺跡は現在の国分寺重複している。周囲に谷や古墳があるため寺域四角形ではない。南北478メートル東西北辺254メートル中央345メートル・南辺:299メートル面積139,000平方メートルに及ぶ。主要な伽藍地は南北219メートル東西194メートルで、大官大寺式の伽藍配置金堂七重塔僧寺跡・国分尼寺出土 墨書土器 上総国分尼寺跡 1989年平成元年)まで行われた発掘調査で、位置確認などで主要伽藍構造含めた全容解明されたことから、建物跡の完全な復元が可能とされた。これを踏まえ、かつての中門奈良時代工法再現する形で復元合わせて史跡上総国分尼寺跡展示館」が建設され1993年平成5年8月1日開館)、復元建物と共に一般公開されている。 金堂基壇のみ復元回廊外観 回廊内部

※この「上総国府」の解説は、「市原市」の解説の一部です。
「上総国府」を含む「市原市」の記事については、「市原市」の概要を参照ください。

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