文学的位置と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 07:45 UTC 版)
作者・孝標女は平安文化の全盛期に生を受け、成長とともに平安朝の栄華が少しずつ崩れてゆくのを経験しており、時代的にも個人的にも少女時代が一番良かったことになる。その少女時代の思い出に感傷の涙を流し、わびしい自己を支えているという趣きのため、この日記は正に時代の動向を反映しているといえる。この点、平安全盛期の最中に成り、作者の生涯を記していることで『更級日記』と共通する『蜻蛉日記』と比較して大きな違いが見られる。両日記の結末を比較してみると、『蜻蛉日記』は自分の運命を知って不可抗力の無言に入っているのに対し、『更級日記』は人生の寂寥を耐え忍び、少しばかり神秘的境地に落ち着いていると言える。描写という点で、『蜻蛉日記』はかなり写実的であり、写実に徹して象徴に入っている所も見えるが、『更級日記』は全くの印象描写である。もし『更級日記』にロマン精神が認められ、現実の彼方に永遠の思慕をよせているとするならば、思慕の方向は、これから創造されるものへの期待という前向きではなく、過去の彼方への愛惜という、後ろ向きの感傷ということになる。 現代におけるもう一面の評価として、冒頭五分の一ほどを占める「上洛の記」における旅の描写が、太日川(江戸川)渡河や太平洋とつながる水路「今切」ができる前の浜名湖などの様子をうかがえる歴史地理学や交通史の研究に寄与している。 菅原孝標女が生まれ育った上総国府があったと推定される千葉県市原市などは、旅立ちの日(旧暦9月3日、現在の暦で9月22日)から1000年となる2020年9月~10月、イベントや記念行事を展開した。
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