菅原孝標女とは? わかりやすく解説

すがわら‐の‐たかすえのむすめ〔すがはら‐たかすゑのむすめ〕【菅原孝標女】

読み方:すがわらのたかすえのむすめ

1008〜?]平安中期女流文学者。父孝標は道真玄孫。母は藤原倫寧(ともやす)の娘で、道綱母異母妹30歳過ぎて祐子内親王出仕橘俊通の妻となった生涯回想的に描いた更級(さらしな)日記」があり、「浜松中納言物語」「夜の寝覚(ねざめ)」の作者ともいわれる


菅原孝標女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 07:18 UTC 版)

菅原孝標女(すがわらの たかすえの むすめ、寛弘5年(1008年) - 康平2年(1059年)以降?)は、平安時代貴族女性。本名は伝わっていない。




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菅原孝標女(すがわら の たかすえ の むすめ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 00:57 UTC 版)

姫のためなら死ねる」の記事における「菅原孝標女(すがわら の たかすえ の むすめ)」の解説

更級日記作者にして彰子女房源氏物語全巻暗記するほどこよなく愛すオタク少女源氏物語読みたい一心で自ら等身大仏像彫り上げ拝み倒した、夢に出てきた僧侶源氏物語だけに熱中せず法華経勉強促されたが全力拒否するという、いかれたエピソード実話)の持ち主。ただ僧侶の件については後年反省の弁書き残している。大人しそうな雰囲気反して源氏物語紫式部のこととなると非常に積極的になり、紫式部目当て彰子女房となったほど。源氏物語への度を越した執着ぶりから、紫式部からは迷惑がられているが、本人自覚していない。リア充である和泉式部のことは苦手。

※この「菅原孝標女(すがわら の たかすえ の むすめ)」の解説は、「姫のためなら死ねる」の解説の一部です。
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