河内国分尼寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 14:39 UTC 版)
尼寺跡の所在は詳らかでない。僧寺跡の西方に「尼寺」の地籍があり、奈良時代の瓦の出土も認められることから、同地付近に所在が推定される。 推定寺域内では現在までに数次の調査が実施されているが、伽藍建物の遺構の検出には至っていない。また出土した軒丸瓦の様相も、河内国分寺の前身寺院瓦(奈良時代の複弁蓮華文、奈良時代の重圏文)と類似する一方で、国分寺主体の青谷式瓦(複弁七葉蓮華文)が認められていない点に課題を残す。河内国分尼寺については文献上でも知られないことから、平安時代までには衰退したとする説がある。 推定河内国分尼寺跡出土瓦柏原市立歴史資料館展示。
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