河内国茨田郡出口正重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 02:53 UTC 版)
千子派の正重と同時期に「河内国茨田郡出口正重作」と銘を切る刀工がいて、『新古刀大鑑』『大日本刀剣新考』などは「正」の書体や作風から見てこれを千子派の正重と同一人物とする。藤田精一はさらに論を一歩進めて、河内は正重の先祖楠木氏発祥の地であるからそこに駐槌地(本拠地とは別の鍛冶場)を置いたのであり、出口(今の枚方市出口)は秦に近く、また、正成生誕の地金剛山を眺めることができるのも理由であろう、と延べている(秦=寝屋川市秦町は、かつて後鳥羽上皇の御番鍛冶がいた場所)。また、正重の「正」の書体も、師・村正にだけではなく、正成・正行・正儀らの筆跡にも似ているようにも思える、と述べている。
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