河内介とは? わかりやすく解説

河内介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 15:56 UTC 版)

河内国司」の記事における「河内介」の解説

当麻広名759年天平宝字3年5月 任、従五位下『続日本紀』)。 山田銀763年天平宝字7年4月 任、外従五位下『続日本紀』)。 石川望足765年天平神護元年)閏10月、河内介・正六位上から従五位下に進む、『続日本紀』紀広庭768年神護景雲2年11月 任(従五位下)、『続日本紀』)。 (河内職次官紀広庭769年神護景雲3年10月 任、従五位上河内職亮、『続日本紀』)。 阿部常島(771年宝亀2年)閏3月 任、従五位下『続日本紀』)。 (権介河内三立麻呂774年宝亀5年)任、外従五位下『続日本紀』)。 大伴麻呂785年延暦4年正月 任、従五位下『続日本紀』)。 内蔵賀茂798年延暦17年5月 見、従五位下、『類聚国史』)。 紀南麻呂806年大同元年正月、『日本後紀』)。 山田弟分811年弘仁2年2月 任)、『日本後紀』。 伊勢永別836年承和3年11月 任、840年承和7年正月 罷、『公卿補任』)。 百済王慶苑 (840年承和7年正月 任、従五位下、『続日本後紀』)。 (権介壬生永嗣 (848年嘉祥元年5月 任、849年嘉祥2年正月 介と為す外従五位下、『続日本後紀』)。 下山池作 (886年仁寿2年正月 任、従五位下、『日本文徳天皇実録』)。 山田文雄856年斉衡3年正月 任、『日本文徳天皇実録』)。 石川弟庭 (859年貞観元年11月 見、『日本三代実録』)。 菅野宗範870年貞観12年7月 任、従四位上、『日本三代実録』)。 滋野善法 (884年元慶8年5月 任、従五位下、『日本三代実録』)。 巨勢文宗885年仁和元年正月 任、従五位下、『日本三代実録』)。 藤原有義(902年延喜2年)月欠 任)→『大日本史』「国郡司表」による。

※この「河内介」の解説は、「河内国司」の解説の一部です。
「河内介」を含む「河内国司」の記事については、「河内国司」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「河内介」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「河内介」の関連用語

河内介のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



河内介のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの河内国司 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS